キューバ東端の町「サンティアゴ・デ・クーバ」へ12時間バスの旅! ・キューバ 2014年05月02日 【サンティアゴ・デ・クーバへ12時間の旅】ルイスおじちゃんの最後の朝食を食べ、朝8時の便でサンティアゴ・デ・クーバを目指す。最初に行っておくと、今日はただひたすらバスに乗っているだけなのでそんなに内容はありません!バスの休憩時に見ためっちゃ可愛いひよことか、道中の考え事とか、そんなんだけでございます。 バス。座るだけである。特にすることもない。ちっちゃい頃はとても車酔いなどしやすかったんですが、いつの間にか全然そんなことはなくなった。とはいえ、やっぱり移動中の車内で本を読んだり何か書いたりすると酔いそうになるので、あまり出来ることがない。音楽を聴くか考え事をするかのどちらかくらいのもんである。ちょっと考え事。ちっちゃい頃からしたいことが何にもない。なーんにもない。世界にあるもの全部見て見たい!と幼いころに思っていたこともあったはずなんだけど、いざ今になって周って見始めてみると、そんなに強く思っていたことでもなくて、現実的に思っていたのでもなくて、世界征服がしたい!悪いやつを倒すヒーローになりたい!ってのと同じくらい適当に上っ面見て望んでいたんだなぁと思う。なんなら悪いやつ倒すヒーローになりたいって望みの方が現実的なのかもしれないと感じるくらいだ。いや、世界を見て周りたいと思っていたちっちゃい僕はもっとちゃんとそう望んでいて、ただ今の僕にやる気がないだけということなのかな。ちっちゃい僕は今の僕が外国をフラフラしているよと知ったら、目をキラキラさせて羨ましがるのだろうか。そんなに羨ましがられるほど楽しくもないし、そのキラキラの目ほどキラキラもしていないごくごく普通の日常である。楽しくなくはない。普通に楽しい。決してつまらなくはない。でも別に飛び抜けちゃいない。そんな感じの僕の日常。んや、たぶん正義のヒーローになりたいのは、それになりたいわけじゃないな。悪いやつをやっつけて誰かに認めてもらいたいんじゃないかな。そして要するに自分の生きている理由が欲しいのだ。たぶんその理由をくれるなら何でもいいんじゃないかな。でもたとえどんな理由を手に入れたとしても、この不愉快な頭の良さだ、そんなん容易に否定もできちゃうから、結局ダメなんだろうさ。自分の話を一般論をごっちゃにしているから何が何だか。僕には一人の理解者もいない。なんて、何も別に周囲の人へ文句を言っているのではない。僕は自身ですら理解できていない。なんなんだこの生き物は。キューバはネットが規制されている国です。昨年その規制が緩和されたとはいえ、ネット環境は日常に当たり前に転がっているものではなく、一部分で使えるものでしかない。そんなキューバのネット環境がなくて、どんなニュースや情報もしいれることができないという現状はとても興味深いものだ。当たり前にそうだということはわかっていたつもりだったんだけど、実感となるとまた別で、自分がちゃんと捉えられていなかったんだなと気づかされる。例えば今日本が全部沈んでいたとしても、僕はこの国から出るまでそれを知ることはない。いやさすがにそれだとキューバのテレビでもやっていて、町中で誰かに知らされるだろうけど、まぁ過剰に言えばそんな状況だってことです。日本で起こったまぁまぁでかい事件や犯罪を知ることもない。友達が死んでいてもそれに気づくこともない。僕に友達がいるのかというのはまた別の話です。昔の戦争ってこんなだったんだろうなと思う。まともな情報は手にできなくて、新聞やラジオの言うことを信じるしかない。大きな国の現状なんてわからなくて、身近な手の届く範囲をなんとかして生活するしかない。逆に言えば、手の届く範囲だけで生活することができる。どっちがいいかなんて知りぁせん。そこは今は関係ありぁせん。結局今だって知ることの出来る事は膨大になったけど、それが本当かどうかもわからんのだから同じじゃないかっちゃ同じでもあるんだけどね、やっぱり違うじゃないか。どっからが無駄に多い情報で、どこまでが必要な情報なのかな。地球が丸い必要はあるんだろうか。かかかかか。【めっちゃ可愛いひよこ!】んなことをてろてろ考えていたらお食事及びトイレ休憩。ここにいたひよこがめっちゃ可愛かったの!眠たそうにこっくりこっくり。鳥もこんなんするんだねぇ。人間みたい!って動物を見て思ったりすることってたまにあるけど、それってどうなのかな、人間よりも先にいた生き物とかに対してそれを思うって言うのは反対なんじゃない?いやでも自分の知識には先に人間の様があったのだから知った順序的には良いんだけどね?こんなこと思いませんか?というか動物が人間のようだというか、人間はあまりに動物を「動物」だと捉えすぎている感が少なからずあったりなかったり。そんなこと思いませんか?思いませんかそうですか。てかそんな話はどうでも良いんだった。可愛いひよこの動画をば。ほんと可愛いんでご覧ください。どうですか。かぅわうぃいでしょ?でしょ?フラフラしてるけどたぶん病気とか怪我というんではないと思います。このあと元気にご飯食べて走り回ってたのでただ眠いだけなはず!たぶんだけど! しかしこの人懐っこさ。こんなに無警戒で良いのかね?足に乗っかったりしてきたから撫でたりも出来たんだけど、どうなの?もし僕が悪者だったりめっちゃお腹空いてたりしたらこの子一瞬で絶命してしまうよ?頑張って生きてほしいものです。これまたよく思うことなんだけど、ひよこと鶏って姿違いすぎません?どうもこのふっくら可愛いのから目つき悪いトサカマンになるのが納得いかない。なんでなの?まぁそんなのもどうでも良いからもうバスに乗って出発です。【することないから音楽で遊ぶ】前述の通りすることがない。そして普通に音楽を聴いているのもなんとなく飽きてしまった。そういう時に僕がたまにやる遊びが、次の曲と繋がっている語りなどをランダムにして聴くというもの。なんだ、すごいわかりにくい日本語ですみません。例を挙げると、ミドリカワ書房の「みんなのうた2」というアルバムの中に「僕のお爺ちゃん」→「恍惚の人」という本来の曲の順序があります。「僕のお爺ちゃん」は劇団ひとり扮する小学生が、授業の中で自分のお爺ちゃんについての作文を読むというもので、その語りの次に痴ほう症になってしまった老人目線の歌である「恍惚の人」が流れます。それをそのまま聴かずに、自分のiPhoneに入っている全曲ランダムの状態で「僕のお爺ちゃん」を聴いて次は何になるのかなという遊び。これで次の曲を聴くと、割りとどんな曲でもお爺ちゃんについての歌のように聴こえてとても面白いのです。今日個人的に一番良かったのは「僕のお爺ちゃん」→「輪舞曲/soul'd out」の流れ。孫の前では明るく振る舞っているのに、孫と別れ一人になると鏡に映る年老いた自分の姿に感傷的になっている寂しいお爺さんの姿に悲しい気持ちを呼び起こされます。最初に持っている自分のイメージで曲の印象がこんなに変わるものかと、とても興味深い。歌詞だけでなく音一つとってもそういう音からイメージされる映像が変わるから本当に面白い。けっして作者の方々の意図を蔑ろにしているとかそういうつもりではない遊びです。うむ。【サンティアゴ・デ・クーバ到着!】午後8時、サンティアゴ・デ・クーバ到着! 誰かしらのシルエットの看板。暗くて誰だかわかりませぬ。トリニダードでルイスにこっちの予約してもらっていたので、バスターミナルにはカルメンというおばちゃんがちゃんと待ってくれておりました。挨拶をしてタクシーでカルメンおばちゃんの家を目指す、のかと思ったんだけど、何やら今日は泊められないということで一泊だけカルメンおばちゃんの従妹の家へお邪魔することに。そこまでタクシー5cuc(約550円)、お家で一泊15cuc(約1650円)。ここもとても綺麗なお家。夜ついて朝にはカルメンの家に移動するからほんとに寝るだけなんだけどね。カルメンの従妹さん夫婦の旦那さんは寡黙な感じの方。今日はほぼ食事をしておらず、この時間だけどご飯が食べたかったので「このあたりに食事できるところはありますか?」と聞いたら、旦那さんが直接案内するからついておいでと言ってくれました。お言葉に甘える。夜だし治安がわからなかったのでカメラは置いていきました。道中、旦那さんに「どこ出身だ?ベイジン(北京)?」と聞かれたので、「いえ、中国人ではなく日本人です。東京出身です(ほんとは違うけど東京と言った方がスムーズなので…)」と答えたところ、旦那さん急にハイテンション!めっちゃ笑顔!「そうなのか!日本人は好きだ!映画もたくさんキューバにはあるぞ!三船敏郎!黒澤明!座頭市はかっこいいな!…でも古い映画しかないんだ…キューバには…。だから何度も見たぞ!」なんて具合。このあたりに映画を見ている率で言うと、今の日本人よりキューバの人のほうが見てるんじゃないかな?と思うくらいみんな知っています。面白い。旦那さんと二人でピザを食べてお酒飲んで本日は終了!おやすみなさい!最後まで読んでいただきありがとうございました。 ●今までに行った場所一覧はこちらから → 『世界一周で周った場所一覧』 PR