本日はサンタフェ巡りからスタート。
泊まったお洒落なモーテルSilversaddleさんは朝食付きなのでシリアル、パイ、ゆで卵を食べてから出発。
此処の町のテーマは「最古」。けして「psycho」ではない。
モーテルから車で少し移動し路上駐車。アメリカ初路上駐車。道路脇にパーキング用の装置が置いてあるところの横に停め、その機械に必要な時間分のお金を25セントコインで払う。だいたい1時間1ドルかもうちょうくらいが相場みたい。
まず最初はこのサンタフェが旧市街の中心、プラザへ。真ん中にモニュメントのある静かで雰囲気の良い公園。そこから道路を挟んで総督邸も見ることができる。今は何かしらになっている。広場から見えるところにある美術館でゴヤ展をやっているようだったので常設展示と合わせて見に行くことに。入館料は9ドル。12歳以下は無料。
(すごくわかりづらい写真…)
ゴヤ展なかなか面白かった。六人で踊っている絵と象の絵、Old man on a swing(?)というちいさいおじいさんがブランコ乗ってるやつの3枚はとても好きな感じだった。それ以外は僕の琴線には触れませんでした。ルネサンスの頃の他の絵がかけ網?かなんかの集合体で描かれていたりでその緻密さに改めて驚いた。現代アートゾーンは理解不能。昔のニューメキシコ州を描いた絵は興味深かった。のち、少し歩いてセントフランシス聖堂へ。
ここではまず一つ目の最古、「アメリカ最古のマリア像」が見られます。
思ったよりも時間の経過は感じず綺麗なマリアさんでした。
お次はそのそばロレットチャペル。
此処には画像で見たことのある人も多いのではないかなと思う「奇跡の階段」があります。支柱がなく階段のみで二回転している木製の螺旋階段。今は使用することはできませんがすぐ近くで見ることは出来ます。
この階段を見るにはここへの入場料3ドルが必要。
そこからまた若干歩き、第二第三の最古。「アメリカ最古の家」と「アメリカ最古の教会」アメリカ最古の家はほぇーこんな感じですかー、ってなくらいのもんです。12世紀に建てられたものだそう。今は何やらお店になっているようですがスルーしました。
アメリカ最古の教会であるのはサンミゲル教会。
1610年くらいに建てられたそう。外から見ると最後の家同様ほぇー、こんな感じですかー程度のもんですが、ここは是非中も見学していただきたい。入場には1ドルかかりますが安いぐらいかなと。特に何があるというわけではありませんが、完成された綺麗な美しい教会にはない素朴な美しさ、荘厳さがある。自分は全くクリスチャンではありませんが、この綺麗な空間でもっと時間を過ごしたいなと思うくらいな場所です。でもそれも多分個人差なのでつまらない人にはつまらないもしれない。鐘を鳴らすこともできます。
そのあとは昼食。最古の家に隣接している最古の次に古そうな(適当)ピザ屋さんへ。そこでクラシックミートピザのラージを食す。
20ドル。半分こで10ドル。めっちゃ美味しかった。
そんなこんなサンタフェを堪能したので昼過ぎには離れることに。目的地をオクラホマシティに設定し、東へ車をすっ飛ばす。途中アマリロ→オクラホマシティ間は所々あのルート66(いまいちわかってない)を走行することができます。
ハイウェイが出来て以降もうほぼ使用されていない道らしく、ハイウェイよりも狭くガタガタ、そしてほぼハイウェイを並走するだけなので、あの道を走っているのだ(名前聞いたことある程度にしか知らない)という気持ち以外は特に意味はないです。でも気持ちが良かった。
聴きたくてスカイラインを流したらランダムで次は風待ちになり素敵でした。
そんな道で一直線にオクラホマシティ到着。でも特に見るものがわからない、思い入れもない。くにおくんのゲームでオクラホマのやつら強かったなという感想か、オクラホマミキサーを踊った子供の頃の懐かしい淡さを思い出すくらい。
だもんで予定を変更してさらに進む。ニューオーリンズに寄りたかったのでここから南下。とりあえず眠くなるまで走ろう。今日はモーテルをやめ車中泊でいいや。とりあえずダラス。ついた。なんかすごい都会。とても混み混み。なので通過。じゃあもうヒューストン目指すわ。睡魔に誘われるも一人窓開けてカラオケしながらなんとかかんとかえんやこらヒューストン到着。
宇宙開発とか航空関係の町なイメージ。着いたのはもう翌日の彼は誰時。「かわたれどき」って変換できないんだ。ヒューストンも特に見ることなく、というか早朝のため見られるものもなく、運転手交代でニューオーリンズまでの運転を任せ助手席で就寝。一日終了でございます。
この日一人で走った距離は約960マイル。キロ換算で約1500km。疲れたけど出来ない距離ではないんだなぁという感想。毎日これくらい走れば三日くらいでアメリカ横断できるのかな。
大きな地図で見る
そんなこんなでサンタフェ巡りでした。
ルート66を走りながら風待ちを聴いたもんだから、自分の時間の過ごし方はこれでいいのかななんてことが頭を過る。別に今この瞬間の、というわけではなくて、自分の過ごしてきた時間全部。そして他人どんな時間を過ごしているのかな。
知り合った時以前の誰かの時間のことを当然僕は全く知らない。それは相手も同様なわけで。今この旅行中に知り合った人の時間は「今」しか知らない。大学なら大学以降、高校なら高校以降。同年代で一番古い僕を知っている人となると、たぶん幼稚園の同じクラスだった人、ということになるんだろうと思う。家族の次に幼い足を踏み入れた社会集団。
でも幼稚園から一緒で今だに連絡できる人はおそらく一人もいない。小学校すら違う人多数なので、そんな人らの中での僕は身長1mに満たないままなのかな。覚えていればだけども。なんであんなに小学校違う人がいたのだろう。不思議。
なんとなく彼ら彼女らが今どんな時間を過ごしてどんな人になっているのか気になり始めた。気になったというか、漠然と。みんな身長1m越えてんだろうな。
僕が高校まで住んでいた町は、ちょうどベッドタウンとして開発されているところで、転入転出がとても多かった。どれくらい多いかというと、中学校で仲が良くて今でも連絡を取り合う人らはほとんど小中いずれかで入って来た転校生。そして幼稚園から小学校二年生くらいまでの間に好きだった女の子が三人転園ないし転校した。これくらい転出転入が激しかった。町を離れて行った人らはそこでどんな風に過ごしたのかなー。
最近フェイスブックを始めて気付いたことですが、幼稚園や小学校、もしくは中学校あたりのそこまで仲が良かったわけでもない知り合いって名前は知っていても漢字を知らなかったりする。なんで申請が来てもわからなかったりするし、探すこともできない。
大人になったら結婚するんだーって言ってた幼稚園のチカちゃん元気かな。僕は一年しか幼稚園にいなく、そしてその途中で転園した子なのでそう長い期間過ごしたわけでもないんだろうなと今更ながら気付いた。
ある日ひまわり組のウツミ先生が「この組から転園する子がいますー」みたいなことを言って、その子が元気に笑顔で手を上げた時の衝撃を未だに覚えている。転園は仕方ないにしても、それを何故笑顔で発表できるのかが当時全く理解できず、え?は?この生き物の精神構造はどのような具合になっているのかね?くらいの強い衝撃的な出来事。
でもそのあとはなんも覚えてない。転園前日とか、それ以降とか。たぶん普通にブランコ乗ったりブロックで遊んだり園内のゴミ箱全部隠したり紙芝居の箱と中身を入れ替えてバラバラにしたりしていたはず。そんなもんだ。あれ、何の話だっけ。