記憶 雑記 2014年12月16日 記憶って誰でも知っている通り、覚えていること全てが常に頭に浮かんでいるわけではない。何かの拍子に、頭の片隅でずっと意識されていなかったような記憶を思い出したりする。それは時として都合良く改竄されたものだったりんなことなかったり。ある程度なら記憶の印象を好きに変える事もできるし、肯定も否定も出来る。だから助かる一方で本当につまらないくだらないもんだなと感じなくもない。楽しかった記憶を今の自分と照らし合わせてつまらなかった記憶にも出来るし、つまらなかった記憶を楽しかったものだと認識することも可能。好きだったものを以前から実は好きじゃなかったと自分に落とし込むことも出来るし、本当に嫌いだったものを実はそんなに嫌いではなかったかなと塗り替えることすらも出来てしまう。それは結局のところ事実なのか嘘なのか。便利だし必要な機能だとは間違いなく思うけどけっこうな勢いで気持ちが悪い。人は一時的になら本当に膨大な量のことを考える。そして記憶にほぼ残らず消えていく。それを記録しておくことは良いことだろうなと思う一方で、ネガティブなものを残しておくと、自動的に消えていたはずなのに残していたせいで改めて認識してしまうということもあるだろうと思う。だからあまりにネガティブなものは残さないでおこうと思ったり、それでもやっぱり正面から対決してみようと残してみたり。でもやっぱり今はそういうのを残す意味はないと感じている。これこそ今一時的に浮かんでいる考え方かもしれないけどもね。僕はレシートが意外と好きだ。意外と、なくらいだからそんなに好きではないし、基本的には捨てるけど。でもほんとなんとなくな時に気分でそれを取っておいて、数ヶ月ないし数年経ってからそれを見るのがとても楽しい。レストランや居酒屋のレシートだと、まず日付がわかり、食べたものがわかる。この日ということは誰と行ったんだ?何曜日かな?料理も写真でなく文字だから見ながらどんなものだったか考える。あ、こんな感じだったはずだ!こう食べたんだ。ということはこれはあの人と食べているな。こういう話をしたんだ。てことはこの前にあそこへ行って、あんなこともあったなぁ、なんて具合にレシートから大量にその一日の出来事などを思い出すことが出来る。料理の写真で良くね?と思う人がいるかもしれないけど、それだとちょっと違うように思う。写真だとまとめて一気に確認が出来るけど、その作業はあまり「思い出す」という作業ではないような気がする。というのも写真からの情報が多すぎて自分の頭があまり動かず、余計なエピソードが沸いてきたりはしない。あんまり。でもレシートだと断片的に思い出すことでそれがどんどん鎖状に連なって思い出され、ズルズル記憶が引っ張り出されているような感覚が味わえるのである。個人的にはね。だからなんとなくレシートって好きで、時々取っておく。確認する前に失くしたり読めなくなったりするけどね!レシートを見て思い出す記憶も頭の中に収納されているはずなのだが、基本的にレシートを見る以外で思い出されなかったりする。そういう類の記憶って本当にいくらでもある。そしてそういう類の記憶は、要するにレシートを見ない限り思い出されないわけなので、レシートがなくなると消滅すると言っても過言ではないと思う。どこかへ出かけた!ってのは割りと記憶に残りやすいのに、食事って意外と残らない。そりゃまぁ毎日毎日延々繰り返されたきた行動だからかもしれないけど、もったいないよね。人は自分が何かを忘れたと実感することはあまりない。台所に何を取りに来たか忘れたというような短期的な場合や、酔って昨日のことを覚えていないという特殊な場合を除いて。でも前述の通り、何かを見ることでそれに付随して想起されることしかできない記憶は、それを捨てるともう思い出すことは無いのだから、それを捨てることがすなわち記憶の喪失だと言って良いと僕は考えている。だからレシート一枚捨てると、その食事の記憶は無くなるんだな、と実感しながら捨てる。物を捨てる、というのは記憶を失くす実感を強く感じられる手段だなぁ。そう思いませんこと?最近なんとなくの気分で本を捨てたり人から貰ったものを捨てたり写真を捨てたりしている。特に意味はないし、意味はないってことほど意味があることも無いだろう。物を捨てた分その記憶容量はHDみたいに空くのかどうかは知らないけど、感覚的に身軽にはなる。その身軽さが良いものなのか、地に足が着かなくなるだけなのか今はわからんけどもね。こないだ書くって言ってた記憶のお話でした。ちゃんちゃん。 ●今までに行った場所一覧はこちらから → 『世界一周で周った場所一覧』 PR