『こんのネクタイ』 五七五の暇つぶしとか夢とか 1914年10月12日 死のうと思って家を出た。なぜ家を出たのかは考えればわかるかもしれないけれど考えていないから定かじゃない。死ぬのなんて家でも出来るけれどとりあえず僕は家を出た。それは死ぬのが怖かったから先延ばししたんでもあるだろうし、ただ家では死にたくなかったんだろうし、辞める理由と決行する理由を探していたんだろう。そしてまた死ぬなら気持ち良く死にたかったんだろう。死ぬのなら首吊りだ、と以前から決めている。電車に飛び込んだりどっかのビルや崖から飛んだりはしない。静かに首を吊る。天井の梁かなんかから麻縄を、なんて吊り方でもない。ドアノブかなんかそんなんにネクタイでも結んで座って静かに首をつる。中学生の頃から決めていることだ。死のうと思って家を出た。素敵なネクタイ一本持って。 あてもなく東京へ飛行機で飛んだ。意味はない。意味のないことなんてないとするなら意味はあるけど、意味のないことがあるってんならこれには意味がない。死ぬなら気持ち良い心持ちで落ち着いて死にたい。そう思いつつ適当にやって来たのに東京の人混みでストレスは溜まるばかり。不愉快な気持ち抱えたこんな気分で死ねるわけがない。綺麗なものが見たいんだ。人と綺麗な会話がしたいんだ。そうしたら死のうと思うんだ。ふと、学生の頃に行った鳥取砂丘が綺麗だったことを思い出して鳥取砂丘へ行くことにした。家から持ってきたなけなしの9万があるから、鳥取なんていくらでもいける。好きなものを食べて、好きなものを飲んで、綺麗な砂丘を見たら何処かで静かに素敵なネクタイで首を吊ろう。何日かかけてのんびり東京から向かうことにした。別に急ぐ必要のあることでもないから。途中、大阪で友人にでも会おう。僕にとっての少ない友人だ。会ったのは何年振りくらいだろうか。3年振り?もう少しかな?適当な生き方をしているのでその辺りのこともよくわからない。元気そうでよかった。以前あった時にはほとんど話すことの出来なかった娘さんは5歳になっていて、もう赤ちゃんぽさのない女の子だった。別に誰も大阪出身ではないけれど、なんとなく大阪にいるのだからと晩御飯はたこ焼きにした。何気ない話をしながらたこ焼きを作る。時々ふざけてわけのわからないものを入れる。相手は当然僕の気分なんて知らない。友人を見て、その子供を見て、後押しされているような、引きとめられているような、そんな気分になった。僕がしようとしていることをまったく知らないんだから当然どちらでもないけれど、勝手に相手の生活を眺めて己のあれこれを考えてそんな気持ちになった。一泊お世話になって発つつもりが、翌日起きて子供と遊んだり昨晩の酒の疲れを癒しつつダラダラしている間にまた一泊お世話になることにした。させてもらった。たこ焼きの次は鍋だなってことで、近所のスーパーで買ったハマチを一匹さばいて刺身と鍋にしてたらふく食べた。美味しかった。本当にただそれだけだ。いい意味で、それだけだ。どういう話の流れだったか、食事を終えてから友人の娘が「こんとあき」という絵本を持ってきた。それは「あき」という女の子と「こん」というきつねのぬいぐるみが砂丘へ行く話だったので、僕は本当に驚いた。これはどういう意味かな、なんて適当に考えながら、腹いっぱいのまま酔いとともに眠りに落ちた。僕に「こん」はいない。「あき」は砂丘に行ったあとにおばあちゃんの家であついお風呂に入るんだ。素敵だな。翌日早くに友人にお礼を言って家を離れ、鳥取行きのバスに乗り、3時間程度で鳥取に到着。その足で砂丘を目指す。鳥取駅からバスで一本。ただボーッと向かう。砂丘を見たら僕は満足してちゃんと首を吊る気持ちになれるかな、知らんおじさんと少し話をして、美味しい安い蕎麦なんか食べたら完璧じゃないかな。清々しい気持ちでなんの心残りもなく。着いた鳥取砂丘は全く美しくなかった。学生時代に来た時と時間が経って変わってしまったのか、それともただの時期の違いに寄るものなのか、とりあえず美しくない。汚くまぶされたような緑色。大量の観光客。おびただしい量の人間の足跡。適当な写真撮影サービス。ラクダに乗ってお写真が撮れますよってなもんだ。汚いな。僕は今日死ぬのを辞めた。 ●今までに行った場所一覧はこちらから → 『世界一周で周った場所一覧』 PR