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SpiltMilk

デジタル一眼レフカメラ「EOS6D」と「60D」でのあれこれ。世界一周やめての途中で帰国した阿呆の写真・動画ブログのはずだったんだけど最近なんなんだかよくわからなくなってきている適当な何かしら。

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『虚飾』

あの時、自分は何を考えていたんだろうか。それはもう今となっては正確に把握することなんて出来ないことだとわかっている。あの時は完全に狂っていて、今はあの時よりもまともだからだ。
それに、あの時だって自分はなんで自分が今ご飯を全く食べず、水すらも飲もうとしないのかわかっていなかったような気がする。それを必死で考えて、わからなくて、それでも良いのかと思いながら、死なない自分をひたすら嘲笑し、ひたすらそれに一人で耐えていた。なんて苦しい時間だったろう。誰にも理解されず、一人でこんな世界にいる、なんてあの時は思っていたが、その実、一人では何もしておらず、周りの助けだけで成り立って、生きて、そしてまともになれたと、それだけの話だ。
あの時はそれがわからなかったし、今だってあの時の気持ちは分からない。さらに言ってしまえば、今の現状でも良いのかどうか、自分にはわかっていないのだ。

気がついた時には、もう自分は完全なダメ人間だった。自分としては取り繕っているつもりでいた。自分がおかしくなってきている自覚をしながらも、物事をひとつひとつ丁寧に行い、周囲には普段と変わらない生活を送っているように思われているだろうと、正直悦に入っていたものだ。
そんな姿も周りから見れば滑稽どころではなく、もう哀れすぎて声もかけられなかっただけ、というのが現実だ。
炎天下のガラス張りの部屋の中で、何故か長袖の作業着を腕まくりもせずに着て、チャンネルのずれたラジオが雑音を流し続けるなかで数時間も作業し続ける男など、頭がいかれている以外にありえないじゃないか。
店長も扱いに困ってもう傍観するしかなかったのかもしれない。解雇を伝える際に何かされるのではないかと怯えていたのかもしれない。
そんな中起こしたバイク事故。彼はこれ幸いと僕をクビにしたのだろう。あの事故の時に僕は何を考えていたかな。たぶん今では信じられないほど明後日のことを考えて頑張っていたように思う。

そこからは早かった。
お金に困ってだったか、ただ時期的なものだったか、実家に帰った際に自分の姿を見て母親は叫び、あれよあれよという間に此処に入院することになったのだ。叫ばれるほどにやせ細っているという自覚なんて全くなかったな。
その時もこれといって抵抗もしなかったと思うし、不愉快な気持ちもなかったはずだ。ただ、自分は入院するのか、という認識があっただけだ。
医者にどうして立ってられるのかと聞かれるほどにやせ細っていたわけだが、本人としては特に不思議もなく、32キロという己の体重も受け入れていた。
太らなければならない、50キロを越えなければならない、ということがわかった途端、何故か食事を摂りたくなくなってしまった。別に食べたら吐くということでもない。気持ち悪いのでもないし、意地で頑張ったのでもないはずだ。
退院したくなかったわけでもない、と自分では認識している。でも、食欲というものは完全に自分からいなくなってしまったのだ。
それからは点滴生活。何も食べなくても、何も飲まなくても、死なない。言葉や知識としては知っていても、あの感覚が自分の身に降りかかると本当に不思議なものだ。
自分は何もしなくても死なない。
飲まずとも、食わずとも、微動だにせずとも、右腕に刺さっている針さえ抜かなければ、死なないのだ。

今をすり抜けて、今日をすり抜けて、明日へ。
自分はベッドから全く動いていないのに。
あれは本当に不思議だった。

だから逆に言えば、この針を抜けば、死ぬのだ。どれくらいの時間がかかるのかは、結局死ななかったからわからないが、死ぬのだ。30分でも抜けると全然動けなくなる自分が心から面白かった。
シャワーを浴びる時間だけは、点滴を抜いて入る。その間、どんどん身体からエネルギーが抜けていくのがわかるのだ。もうシャワーを浴び終わる頃にはこの世のすべてが面倒でこのまま止まってしまおうと思うほどなのだが、また針を刺されるとむくむくと元気が湧いてきて活動することができる。本当に本当に不思議なものだ。

たぶん自分はそんな生活を2週間ほど続けたはずだ。何故始めたのかはわからない、何故終わったのかもよくわからない。しかしそれは唐突に終わった。
どうしても水が飲みたくなったのだ。誰に強制されるでもなく、むしろ飲めと言われているのに頑なに飲まなかった自分は、全く飲食をしない期間を2週間ほど過ごして母親に向かって泣きながら言ったのだ。

「水が飲みたい」

もはや意味が本当にわからない。
飲めよ、というただそれだけの話になってしまう。まぁ母親の反応も実際その通りで、飲んで来なさい、とそれだけ言われたはずだ。
そのまま一人で廊下にある入院患者のたまり場のようなスペースまでのろのろと歩き、そこの机に置いてあるポットからコップに水を注ぎ、飲んだ。
あの一口は、およそ人生で味わったことのないほどに美味で、感動という言葉では表現できないほどの衝撃だった。
別にただの水なのに、だ。
それで自分はさらに涙を滝のように流しながら、あ、水は飲んでいなくても涙は出るのだなと頭の片隅で考えながら、目の前の世界で一番上手い飲み物を繰り返しのどに通した。

それ以降、以前のように食事もするようになり、そのまま一ヶ月半ほどで回復した。飲まず食わず開けのお粥もそれはたいそう旨い物だったが、あの水の前では完全に霞んでしまっていた。とはいえ、今まで食べた食事の中ではもっとも美味しかったことは間違いない。
悟った後のブッダが食べたミルク粥もさぞかし旨かったことだろう。いや、しかしそれを食べる頃には彼は悟っていたのだから、現世のそんな物には惑わされなかったのだろうか。だとしたら彼はたいそうな愚か者かもしれない。いや、まともな知識もないのにさぞ頭の良さそうなことを考えるのは辞めるとしよう。

今考えるべきなのは、いつだって今なのだ。今この現状をどうするのか、それを考えなくてはならない。なんせ自分はもう回復し、まともになっているのだから。

食事を取り、厭世的でもなくなり、きちんと回復した自分が、何故このようなまともでないことをし、そしてこのまともでない場に一人で立ち尽くしているのか。己のしたことも、この場も、まともでないときちんと判断することができる、なんせ僕は回復してまともになったのだから。


●今までに行った場所一覧はこちらから → 『世界一周で周った場所一覧』
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