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SpiltMilk

デジタル一眼レフカメラ「EOS6D」と「60D」でのあれこれ。世界一周やめての途中で帰国した阿呆の写真・動画ブログのはずだったんだけど最近なんなんだかよくわからなくなってきている適当な何かしら。

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『散り落ちる 桜に猫が 急かされる』

散り落ちる 桜に猫が 急かされる。

野良猫か、飼い猫か、そんなどうでも良いことをちらと考えてみる。

近くのベンチに腰掛けている僕のもとへも、当然桜の花弁は落ちて来ているのだが、それを僕は急かされているとは感じなかった。勝手に猫が急かされていると思うくせに、肝心な何もしていない自分の元へと落ちてくる花弁には、急かされているとは思わない。

なんと自分勝手な解釈だろうか。今日も何もしていない。


小学生のような言い訳に言葉を尽くせば、今この瞬間だって僕はたくさんのことをしているが、そのようなことを考えるくらいに僕は何もしていないのだ。ただ暗い部屋のパソコンの前で時間を浪費してしまう毎日よりも、少しでも外に出たほうが有意義ではないだろうかと考え、申し訳程度に外に出ただけの話だ。結局のところ、変化のきっかけを何某か自分以外に求めているというだけの甘えた行為だと自分も認識している。そうした自分に嫌気もさし、軽蔑もし、呆れ果てているが、己を嫌ったところで死ぬまで僕は僕でしかないので、今でも嫌わず仲良くしている。

自分なりに当然焦ってもいるのだ。大学を卒業してからもうすぐ二年。適当なバイトをするだけで何もしていない。しかしそれもただ焦っているだけで、何か解決しようと思っているわけでもない。ただただ焦り、焦っても無駄だと自分に言い聞かせ、焦燥感を毎日噛み潰しながらダラダラと生活を続けている。

やる気がでないことの言い訳ならば何処まででも並べることができる。そういう要素には事欠かない国に住んでいるからだ。大人達は働けと言うが、そういう場も実に少ない。当時の彼らよりも低賃金で働かされ、国の制度もめちゃくちゃだ。自分たちよりもうえの世代の人間と同程度の水準を享受できるわけがないという宣告。しかしそんな問題は瑣末な問題らしく、今の若者は不満ばかりだ、仕事ができない、まともな教養がないと宣う。
それはどうなのだ。すでにたくさん働けばたくさん金がもらえる社会でもなく、国の制度は金持ちの良いように使われ、金持ちがその制度の変更を担うから変わるわけがない。聞こえてくるいい言葉が軒並み論理的でない。人口ももうどうすることも出来ないんだろうな。そんな国の中で自分が頑張る意味があるのか。結局のところ死ぬのに。ただただアホどもの駒として回るだけ。気づけばストレスになり、そしてそれをいう場はない。そんな不満、イライラを抑えるには、何もせず寝ているしかないのだ。嘘であふれる楽しい国。

こんな適当な言い訳を自分に毎日聞かせている。もう何がなんだか正直わかっていないが、ただ確かなことは自分が今何もしていなくて、このままだと惨めで悲しい終わりしか見えないということだ。

でも僕は視力が悪いからそんな遠くの未来も見えないけどね、なんて一瞬でも思った自分にまた反吐が出た。



『散り落ちる 桜に猫が 急かされる』

●今までに行った場所一覧はこちらから → 『世界一周で周った場所一覧』
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