『笑いもの みんなの前で 教授もか』 五七五の暇つぶしとか夢とか 1914年08月19日 足早に廊下を歩く。いま自分は興奮している。頭の中が滅茶苦茶だ。たぶんいくら隠そうと努力したって顔は真っ赤で、鼻息は荒く、ドタドタ歩いているんだろう。仕方ない。自分は興奮している。教室のドアを静かに閉めたことだけは上出来だ。だれもそんなこと気にもしないんだろうけど、これは自分のプライドだ。そう思いながら拓也は法文学部棟二階の廊下を一人でずんずんと進む。中学や高校とは違い、授業中でも廊下にはたまに人がいるとはいえ、休み時間とは比べものにならないくらいに静かだ。今自分が何処に向かっているのか、何がしたいのか、このまま帰るのかこのあとの授業にも出るのか、もしそうならそれまで何処で時間を潰すのか、それらのことを考えることも出来ずに、ただどこかへ向かって廊下を歩く。ただ教室から離れたいだけだ。「…くそっ」「…なんだよっ」さっきから時折自分で呟いているがこれに意味なんかない。そう少しでも発散しないと全く落ち着けそうにないのだ。大学ってなこんなに幼稚なもんかね、と心の中で冷静ぶって毒づいてみる。なんなんだほんとに、くそ。 「なんなんですかね彼は」それがあのクソ教授が慌ただしく鞄を持ち上げて教室を出る拓也の背中を見ながら、授業を受けている他の学生に向けて言った言葉だ。背を向けていたから教授の顔を見ることは出来ていないが、拓也の頭の中には馬鹿にしながら半笑いで教室の一体感を作っているクソの顔が浮かんだ。くそ。また小さく口の中で呟く。だいたいなんなんだ、勉強ってな一人でしちゃいけないのか。そもそも単位や成績の評価に出席日数か関係あるってのもなんなんだ。当然出席して当たり前ではあるが、それだけで単位をもらうクソみたいな連中。代返なんて馬鹿みたいな言葉まである始末。試験だって去年の問題を貰っただのあの教授はカンニングが簡単だのそういう話ばかりだ。クソが。今はカタカナで思ってやったぞ糞が。玄関まで勢いで来てしまってから考える。こんなくだらない勢いでこのあとの授業をサボって良いのか。でも自分が今の状態で快適に時間を潰すことのできる場所なんてあるんだろうか。食堂は授業出てるのかどうか知らないが代わる代わる席を占拠して馬鹿話をしている連中ばかり。今は図書館も違う。廊下？そこらのベンチ？いや寒いな。何を自分は頑張っているんだ、なんの為に。いやいまはそんなことを考えるような時間じゃない。よい、帰る。帰る俺は帰る。でも勢いで帰っていいのかどうかの判断をただ伸ばすために食堂と図書館をなんとなく回ってから駐輪場へ向かって、そこでも帰ろうと自分が思ったならそのその時はまっすぐ帰ろう。よし決めた。そうしよう。 歩きながらいくら落ち着こうとしても、拓也の頭の中では先程の出来事とそれによる自分が受けた辱め、屈辱、苛立ち、不満、そういう類のあらゆる感覚が延々と反芻され、どうしても興奮してしまう。自分の苛立ちと数分前の出来事に喧嘩腰で整理しようとする。「くそ、俺が悪いのか？あ？なんでだよ、友達いなかったら授業うけちゃいけませんか？は？まじふざけんな」ぶつぶつと繰り返しながら食堂を目指す。周りの人と話し合って下さいってなんだよ。いやまぁそれはいいよ、話せる奴は周りのお友達と意見交換してりゃいいさ。で？それでいいじゃん。俺は一人で有意義に教授の質問に対して考えてたっつの。は？絶対あいつらよりもしっかり考えてんのに、まじなんなんだよ。友達がいなかったら他のグループの人と話してってなんだよ。あのおっさん教育学部のくせに学生の現状を知らないのかよ。授業は基本的にみんなお手て繋いで取ってんだ。変なのが話しかけたり加わるとおかしな空気になるんだよ。知らねぇのかよ。なんだよ。いらいらすんなくそ。いやそれで普通に話せる人もいるのかも知れないよ、でも少なくとも自分にはそれは出来ないんだよ。いいじゃねぇか授業くらい一人で受けて一人で考えて勉強したって。というか普通教授はこっちの側だろ。うるせー学んでもいねーやつらより、発言はしないけど一人でこつこつ勉強してる人間をちゃんと見とけよ。話し合って下さいってまじなんだよ、あいつの怠慢じゃねぇかハゲくそ。普段あまり口汚い言葉を使う機会も必要もない拓也は適当な悪口を脳内で振り回す。それは別にはげてもいない教授に向かってハゲとののしる程度で、悪口の語彙はとても貧困だ。食堂の前まで来たが別に中の様子を確認するでもなく、ただこういうコースを歩くんだというような形で通過して図書館へ向かう。今は時間を潰せる場所を探す、これからどうしようか、ということよりも遙かに教授を罵倒し続けることが重要なのだ。「君はいま何をしているのかな？」ってなんだよ。授業受けてたんだよ当たり前だろ。授業を受けていて、あんたの質問内容についてあれこれ考えていたんだよ、見りゃわかんだろ。考えていますって言ったって「僕は周りの人と話し合ってって言ったよね？」ってなんだよ、しかも既に半笑いでよ。そもそも周りにもともと人がいねえじゃねぇかよ、あんな後ろに固まりまくって前の方で受けてんのは数名じゃねぇか。もう教室中のやつらが話し合いなんかしないでこっち気にして見てただろうよ、なんなんだよマジで。「君は授業を受ける気がないのかな？」じゃねぇよしっかり受けてんだよ、なんだよその評価方法はよ、教壇から見てりゃわかんじゃねぇのかよそういうもんはよ。見た目か、見た目が悪いからどこでも目の敵か。でも気にしてるから不潔でも臭くもないだろうよ、なんでだよあほめ、ばかかハゲほんと。「どこかのグループに入って話し合って」でもねぇし「席移動すればいいじゃない」でもねぇし「じゃあ君はこの授業欠席だね？」でもねぇんだよ。てか目の前にいるのに、まじめに受けてるのに欠席ってどんな理論だ節穴かハゲまる。嫌なことがなければ別に楽しくなくて良いんだよ、静かにマジめに過ごしているのがお似合いなんだろさ、だからそう思って生きているさ。生活しているさ。なのになんだよまじで、楽しいことなくっていやなことばっかじゃねえぇか。ここのところ何処でもそうだよ、細かい細かい嫌なことでいらいらばっか。もうそれが自分の普通になりそうじゃないかなんなんだ。人にこそこそデブだの不細工だの言われるのはもうどうだっていいよ、よくないけど大学生ってそんなもんなんだもう学んだわ。それに実際そうではあるから文句は言わないさ。そんな静かな自分がなんで嫌なことばっか。言い返せないと思ってんのかグダグダ時間持って行きやがったうえに新聞取らされるし。ちょっと間違ったゴミの分別でグダグダ下のおばさんに言われ続けるわ、パソコンのディスクドライバは壊れて開かなくなってレンタルしたDVD返せないしさ、無理矢理参加させられた飲み会で酔っぱらってしまったようで帰ってきたら眼鏡ゆがんでるしさー、もうなんだんだよ、今も目の回りに違和感しかないわ。もうなんなんだよ。あれ？図書館の前通ったかな、いいやもういらいら収まんない、このまま帰ろう。帰って寝る！そんなこと今まで無かったかもしれないけど今日はそうするんだ。え、あれ？は？いや間違ってないし、絶対、え？いや、は？まじ？絶対ちゃんとしたじゃん、なんなの、まじなんなんだよもう一から十までかよ、どうすんだよこのあとさーくそぼけもう、なんかもうなんかもうあたまちゃんとまわんないわくそが。駐輪場に鍵をかけて置いてあった拓也の自転車は綺麗に姿を消していた。 ●今までに行った場所一覧はこちらから → 『世界一周で周った場所一覧』 PR
