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SpiltMilk

デジタル一眼レフカメラ「EOS6D」と「60D」でのあれこれ。世界一周やめての途中で帰国した阿呆の写真・動画ブログのはずだったんだけど最近なんなんだかよくわからなくなってきている適当な何かしら。

『蟋蟀が 一つ残った 命たち』

忘れていた。それ以上でも以下でもない。
忘れていた。それしか頭に浮かばなかった。

忘れてた。忘れていた。忘れてしまっていた。
そして謝罪。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
そして言い訳。こんなつもりじゃなかったんですこうしようと思っていたんじゃないんですこんな風になっているなんて思ってなかったんです。

ごめんなさい。忘れちゃってたんですごめんなさいごめんなさい。 





ある日の夕暮れ時、なんの用事だったか実家の外にある小さな物置のシャッターを開けた小学生の僕は、数日前に其処へしまったまま忘れていた虫籠を見つけた。無邪気に野原で捕まえた蟋蟀をこれでもかと目一杯入れた虫籠。

そんな楽しい記憶とは裏腹に、見つけたそれの中は目を覆いたくなるほどに悲惨なものだった。そういえば捕まえたんだったと軽い気持ちで覗き込んだその表情は、すぐさま様々な感情に押されて歪む。

逆さまになったり横たえたりしたまま動くことのない大量の蟋蟀。千切れた足。破けた羽。もげた首。いくら小学生でも何があったのか想像することは難しくなかった。
共食いをしたのだ。
この狭い籠の中で。光の届かない物置で、そこにおかれた狭い虫籠の中で、数日間食べるものもなく空腹にさらされた蟋蟀達は、お互いを食べあったのだ。あの硬く左右に動く口で、互いの足を、羽を、頭をかじり、暗闇でのたうちまわりながら、食べ、食べられ、一匹また一匹と死んでいったのだ。

頭皮の毛穴が広がり背中が泡立つ感覚。
自分の顔と同じサイズの蟋蟀の顔が想像させられる。
あの口に噛みつかれる。千切れる。
心臓が無闇矢鱈と打っている。
食べる。暗闇のなかで。
何処からか噛まれ千切られる。
闇雲に噛みつき食べる。
それが仕方のない狭い空間。
汗をかいているのに手足が冷えて行く。

自分はなんてことをしてしまったのか。
恐れ、罪悪感、謝罪、言い訳。それらが一瞬で頭の中を何周もする。

そこで、虫籠の右上隅のほうに一匹、口をパクパクとさせながら枝に捕まっている蟋蟀がいることに気が付いた。僕は急いで、でもひどく遅い動きで、ゆっくりと蓋を開けた。

僕が籠を触って動かしても、蓋を開けても、ただ口をパクパクさせるだけで動こうとしない蟋蟀。少しでも早くここから出してやらなければと、捕まえようと蟋蟀に手を伸ばした時、僕は何故か自分の指が彼に噛みちぎられる想像をして手を止めた。でもそれは仕方のないことだと思い、一旦止めた手をまた彼へと向けて進ませた。

当然彼が僕の指に噛みつくなどということとはなく、無抵抗のまま僕の手に乗った蟋蟀を籠から救いだし物置の横の草原へと置いた。それでも口をパクパクとさせるだけで動かなかった彼から、僕はすぐに目を離した。

だからそれから彼がどうなったのかは今でもわからない。

僕はそのあとすぐに庭に穴を掘り、虫籠の中の蟋蟀を全て埋め、蟋蟀の墓を作った。木や石を虫籠から避け、中に残っていた頭も足も羽も体の何処なのかわからない欠片も、全て埋めた。それから数日は気に病んだものの、そんなことはすぐに忘れさせるほどに、小学生の毎日はいろいろなことで溢れていた。

しかし今になってもまだ時々思い出す。
思い悩まされているなどということはないが、ふと思いだし、考えさせられる。そのままであったり、もしくは比喩的であったり。どちらにせよそう長い命ではない。そして虫は痛みなど感じないのかもしれないし、思考や感情なんてものもないのかもしれない。

しかしだからといって、それで話がお終いなわけでもない。
他の命を犠牲にしてまで生きたあの蟋蟀は何を思ったのか。何を思って生きるのか。あのあとあの蟋蟀は何かを成したのか。

あの蟋蟀の子孫がもしかしたら今の生きているのか。僕はあの時、何代も何代もずっと続いて来た蟋蟀の血筋をいくつもまとめって断ち切ったのか。その中には未来の蟋蟀の英雄がいたかもしれない。何万、何億年か後には哺乳類に対して反乱を起こす蟋蟀の指導者となるものがいたかもしれない。進化して水陸両用となる蟋蟀もいたかもしれない。
そういった可能性を根こそぎ刈り取った僕。もしくは僕の虫籠。

もしかしたら捕まえなければ全てなんらかの形で死んでいたはずで、捕まってあの中にいたことであの一匹は生き残ったのかもしれない。

もはや何がいいたいのか思いたいのは自分でもまったくわからない。

でもただそんなことを考えていた。
●今までに行った場所一覧はこちらから → 『世界一周で周った場所一覧』
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