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デジタル一眼レフカメラ「EOS6D」と「60D」でのあれこれ。世界一周やめての途中で帰国した阿呆の写真・動画ブログのはずだったんだけど最近なんなんだかよくわからなくなってきている適当な何かしら。
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非難を恐れず敢えて言うのならフライヤーとはゴミである。作った人はそう思っていなくても、配っている人はそう思っていなくても、大抵の場合ゴミになってしまうという運命に間違いはないだろうと思う。場合によっては作っている人も配っている人もこれはゴミだと思ってるんだろうなということすらもあ る。
フライヤーの目的とは、人の意識を惹き付け書かれている情報を知らせ、最終的にはその情報の影響を受けさせることだ。商品なら買わせ、イベントなら 足を運ばせること。それがフライヤーの目的であり、存在理由であることに間違いはない。しかし、その効果のことは微塵も意識せず、配ること自体を目的とし てしまっているケースが多いのではないかと思う。例えばバンドのライブに関するフライヤーについて言えば、どれくらいの人がそのフライヤーを見て足を運ぶ のだろうか、そしてそれを考えて作っている人はいるのだろうかとよく考える。前述の目的を主として考えるのであれば、書かれているライブの存在を知ってい る人にフライヤーを配るという行為は本来なんの意味も無い。忘れていたけどそれを見て思い出す、という場合意味は無くもないが、そんなことはほぼないよう に思う。知らない人に大量に配り、大半が捨ててゴミになっても良いから少しでも興味を持ってくれる人がいれば成功である、という姿勢はフライヤーの在り方 として間違いではないが、効果を得るためとはいえゴミを大量に作っているという事実もまた間違いのないものである。
どうなった時にモノはゴミになるのか。ゴミ箱に入った時だろうか。ゴミ箱に入る事が決まった時だろうか。ゴミ箱に入るのが決まった時だとするのな ら、興味の無い人の手に渡った瞬間にそれはもうゴミであり、興味を惹くようなものとして作っていないのなら、それは配った時に、むしろ作った時にすら役目を果たすことなくゴミ箱行きはほぼ確定しているのだからゴミを配っている、作っているということとほぼ違いは無い。
また、フライヤー本来の目的からは外れることになるが、そのフライヤー自体が欲しい、持っていたいと思うこともあるだろうと思う。好きなアーティス トのフライヤーであるとか、単純にデザインが美しいであるとか。新しい情報を知らせるという本来の在り方ではないが、それを求めている人がいるということ は、その在り方もまた間違っていないという事だ。
綺麗だから欲しくて、保管しておきたくて、でも忘れたころに見るとそれに書かれている内容のことを思い出す。そんなフライヤー。
今回の最終少女ひかさレコ発企画《漢》だらけのフライヤーはこの点を目的として作成した。
一般的なコピー用紙は使用せず、厚い写真用紙を使うことで鮮明な写真や手触りというフライヤーとしての違和感からフライヤー自体の存在感を高め、他のフライヤーに比べより強く意識させることが出来たのではないかと考えている。受け取った時、他の物とまとめて持った時、家に帰ってから出した時、その瞬 間ごとに若干ではあれ違和感を介在させることが出来たのではないだろうか。
とはいえ、今回は印刷数も抑えていたので最終少女ひかさのことを知らないと言う人にはほぼ渡っていないだろうと思う。ということは、要するにフライ ヤーとしての主目的である「知らない人に書かれている情報を与える」という目的は基本的に達成されていない。その点においては間違ったフライヤーであると 言わざるを得ない。
しかし他方、僕はフライヤーが欲しいという人が配っている人に集まるという光景を今まで見たことがなかった。そういうことが起こったという面に関しては試みとしては成功であると考えて良いように思う。
フライヤーはエフェメラだ。電車の切符や割りばしの袋、飛行機のエチケット袋と一緒。一度使われて目的を果たせば捨てられる。下手をすると目的を果 たすことなく捨てられてしまうことすらある、そういうものだ。だからこそ、そういうものだとして作りたくはなかった。エフェメラでなくしたかったという程 のものではない。保管されるエフェメラであらせたかった。そういう試み。
これを配ったのはいつだったか。配った当初僕のこのような意図は誰にも話していなかったと思う。配ってから数週間が経ち、書かれているライブも終了 した今、自分の部屋のゴミ箱でないところにこのフライヤーがあるという人がたくさんいるのなら、僕の試みはとりあえず成功である。
今後も効果や在り方など様々な要素を考慮しながら、いろいろなものを作っていきたいと思う。