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デジタル一眼レフカメラ「EOS6D」と「60D」でのあれこれ。世界一周やめての途中で帰国した阿呆の写真・動画ブログのはずだったんだけど最近なんなんだかよくわからなくなってきている適当な何かしら。
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非難を恐れず敢えて言うのならフライヤーとはゴミである。作った人はそう思っていなくても、配っている人はそう思っていなくても、大抵の場合ゴミになってしまうという運命に間違いはないだろうと思う。場合によっては作っている人も配っている人もこれはゴミだと思ってるんだろうなということすらもあ る。
フライヤーの目的とは、人の意識を惹き付け書かれている情報を知らせ、最終的にはその情報の影響を受けさせることだ。商品なら買わせ、イベントなら 足を運ばせること。それがフライヤーの目的であり、存在理由であることに間違いはない。しかし、その効果のことは微塵も意識せず、配ること自体を目的とし てしまっているケースが多いのではないかと思う。例えばバンドのライブに関するフライヤーについて言えば、どれくらいの人がそのフライヤーを見て足を運ぶ のだろうか、そしてそれを考えて作っている人はいるのだろうかとよく考える。前述の目的を主として考えるのであれば、書かれているライブの存在を知ってい る人にフライヤーを配るという行為は本来なんの意味も無い。忘れていたけどそれを見て思い出す、という場合意味は無くもないが、そんなことはほぼないよう に思う。知らない人に大量に配り、大半が捨ててゴミになっても良いから少しでも興味を持ってくれる人がいれば成功である、という姿勢はフライヤーの在り方 として間違いではないが、効果を得るためとはいえゴミを大量に作っているという事実もまた間違いのないものである。