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SpiltMilk

デジタル一眼レフカメラ「EOS6D」と「60D」でのあれこれ。世界一周やめての途中で帰国した阿呆の写真・動画ブログのはずだったんだけど最近なんなんだかよくわからなくなってきている適当な何かしら。

『射精』

そして、俺は、射精、した。
射精した。村上春樹だ。


俺の下で乳房を荒く上下させながら呼吸しているユリを見下ろしながら、頭の中で二度三度と反芻する。乳房だってよ。笑える。俺は射精した。ユリの膣内(なか)に。結婚も婚約もしていなく、ましてまともに付き合っていて恋人です、なんて間柄でもない女の膣内に射精だ。
だからといって子供が出来るということを全く想定せずに快楽に負けているようなガキじゃあないし、妊娠したらしたで勝手にお前がどうにかしろ、俺には関係ねぇから、なんてことを思っているような屑でもない。こいつはピルを飲んでいるから別に中だししたってかまわないんだ。俺と生でセックスして、中に出されるためにこいつはピルを飲んでいる。こいつが自発的に飲み始めたのか、それとも俺が飲めとさりげなく伝えたのか、そのあたりのことを覚えていない程度に屑ではあるが、妊娠した後のことや出来た子供のことを考えないで中だしする連中ほど屑じゃあない。しまった。気を抜くと中出しなんて言ってしまう。いや頭で考えただけではあるが。

俺は村上春樹という作家の本なんて当然読んだことがない。まず読書なんて習慣もない。社会的にそういう枠組みの中にいる人間だ。でも村上春樹が「射精した」という表現を使ったりしていて、それがなんとなく社会的に知られている、ということを知っている。ただこれだけのことしか知らなくても、俺ら仲間うちで上手いこと話してれば俺は頭の切れる先輩ってなことになるのだ。あっているのかどうかも知らないが、間違いだと確定できることも言わない。
「村上春樹ってのはな、あれだ、人の内面ってのに注目したことを書くんだ。別に何か大きな事件とかが起こるっていうんじゃないんだよ、人の心の中を書く。そして性の描写、あー、エロい表現をな、丁寧な日本語で書くんだ。だから退屈だって人もいるし、あんまり好きじゃないって人もいるけどな、俺はどっちかっちゃー好きだ、貸してやろうか?」まぁ、持ってないけど。誰も借りようなんてしないし、こんなことを適当に言っていれば俺は頭が切れてあいつらをまとめられる人間という証明みたいなものになるんだなこれが。いや、実際人をまとめたりすることは出来ているし、どう考えても連中よりは頭がいい。日本人の平均から見ればだいぶ下なんだろうが、そういう認識を持てている時点で俺は頭がいいほうなのだ。事実そうであるけれども、こういう後押しというか、はったりみたいなものでさらに補強しているのだ。いやはったりじゃないな。一般人から見れば間違いなくはったり、というか知ったかぶりなんだろうが、あいつ等の中にいれば、村上春樹という名前だけでもう立派な知識じゃないか。んん。俺の日本語では上手く説明できないな。

ぐったりしているユリのなかで自分のチン…陰茎が柔らかくなっていくのを感じながら適当にこんなことを考えている。一回出す前は絶対に二回しようと思っていて、膣内でイってから俺の精液と女の…愛液?で濡れている俺のをすぐに女の口に突っ込んでフェラチオさせてそれを味わってからそのまままたセックスに持ち込んでぐちょぐちょのセックスと中出しをするんだ、なんていつも思っているのに、一度イくとそんなことどうでも良くなってしまう。だから俺は村上春樹なんて意味の分からないおっさんごっこをしながら仲間内での自分の立ち位置に思いを馳せているんだ。別に虚しいわけでもないけど。
無い頭でそんなことを考えながらユリの胸を潰すように、でも体重はかけすぎないように、一息つく。ユリの息はまだ荒い。俺があんなにくだらないことを考えていたのに、まだ。女はどれくらい気持ちがいいんだろう。そんなことを考えて思い出したように柔らかくなったチンポを腰を動かし出し入れしてみる。この絶妙な倦怠感と快感が俺は意外と好きだ。たまにビクっと相手が感じるのも楽しい。乳首にもちょっかいを出そうか。おっぱいを舐めるのって男はみんな好きなのかな。別になんでもないものなのに、なぜだか興奮させられるし舐めたいんだよなぁ。

そうこうしているうちにまた俺は興奮してきてユリのなかで大きくなり、徐々に腰の振りに勢いが増してきて二回目のセックスに突入していく。ついさっき二回連続はできないんだよな、と思ったばかりなのに、結局いつもするんだよな。でもほんとなら口に突っ込みたかったな。俺はまた一回目とは違ってさっきよりは相手を気にせず自分の好きに腰を振ってまた中か、それか相手に依っちゃあ顔か口に出して、それでたいてい満足だ。二度目の射精をユリの顔に勝手に出し、イった後の陰茎をユリの口に突っ込んである程度舐めさせて、そしてベッドの横のティッシュでユリの顔を拭いてやってから俺も横になる。息の荒いユリはたいして反応しない。でも俺は腕枕をしてやる。なんと優しい。ユリも向こうを向いたままだが少し頭を上げるからして欲しいんだろう。いやべつにして欲しくはないかもしれないが、イヤではないだろう。快感の余韻に浸りながら、ピルを飲んでまで中だしして欲しい相手と裸でくっついていられるんだ、たしかこういうのを女は好きなはずだ。

たぶん、村上春樹は「俺は顔射した」という文章は書かないだろうと思う。そもそも、村上春樹は女の顔に射精するんだろうか。まず村上春樹って何歳?男だよね?あれ、俺はやっぱり相当に頭が悪いみたいだ。天井を眺めながらそう実感する。村上春樹の本はノルウェイの森という本しか知らない。そして俺はノルウェイというのが国の名前なのか、町の名前なのかを知らない。しかし、それを知らないということに気付くことが出来るというのはなかなかすごいんじゃないかと自分で思う。へー、ノルウェイの森、と聞き流していないということだ。頑張ってるじゃないか、俺。
あ、そういえばたしか「大きな木」だかそんな本の翻訳もしていたんじゃなかっただろうか。あの絵本は小さい頃に好きだったし、俺の知っている本当に数少ない小説を書く人の名前が書いてあったから覚えたような気がする。新しく訳をしたんだったかな。たまたまその本を通りかかった本屋で見た俺は、その本によって昔から好きだったこの本は外国のものだったのだという知識を得ることが出来た。そしてこれも俺の頭の良さを周りに見せるための手段になったんだった。絵本だからあいつらも知ってだろうと思って、そう言う話を振って、訳が変わったけど俺は前の方が好きだな、なんて言うだけでいい。でもあいつらの半分以上はあの絵本すら知らなかったのだ。まぁ想像を越えてるほどのことではない、そういうもんなんだろうと納得できること。でもあいつらは知ってるか?これこれの絵本、なんて言うと「あ、はい!」なんて知ったかぶりをする奴もいる。それはそれで可愛いのだが、可哀相なほどに嘘が下手くそで、嘘にすらなっていないのだ。一目でこいつはこの本を知らないけれども、俺によく思われたいのか、少しでも頭よく思われたいのか、話が面倒だから早く終わらせたいのかはわからないが、知ったかぶりを全力でしているとわかる。可哀相だ。とても可哀相だ。それでいて、俺はそういうあいつらを見ると怖くなる。俺より頭のいい人や大人と話している時の俺は、相手から見ればまんまこいつらのようなんじゃないだろうかと思う。いやさすがにここまで下手で愚か者ではない、と思う。しかし相手も俺よりも頭が良くて人生経験豊富なのだ。だからばれているのだろう、とも思う。しかし、俺があいつらに思うように俺も可愛いもんだ、と思われているならいいんじゃないだろうか。可哀相だ、愚かだ、とは思われていないんじゃないだろうか、と思う。いや思いたい。

俺にまともな知識がないために、あいつらへ向けての知ったかぶりが失敗することもある。こないだ俺はTSUTAYAをフラフラしている時に「カポーティ」という映画を見つけた。まず俺が何故TSUTAYAをフラフラしていたのかというと、ただ暇だからであり、映画を見る為なのかというと、そのつもりで行きはするのだが、内心今日も何も借りないんだろうなとも思っていて、結局何をしに行っているのかよくわからないと言ってしまえばそれまでではあるのだが、たぶん、あそこでフラフラ自分の知らない面白そうな物を適度に眺めているのが自分は好きなんだろうと思っている。
長いときにはパッケージを眺めるだけの三時間を過ごしたりする。面白そうだからと手に取って、また別なものを手に取って、それが三つになる、でも見たくなくなって戻す。そしてまた眺めて、そう言えばさっきのは面白そうだったな、何処にあったかな、なんてもう発見できなくなりもやもやしたり、そんなことをフラフラやって、飽きるか腰が痛くなるかトイレに行きたくなったらおしまいなのだ。

そんなことしていたいつも通りのこないだ、俺は「カポーティ」というのを見つけた。耳慣れないカタカナすぎる。いや確かに一応六年学んだ英語すら全くわからないとはいえ、なんとなく英語は英語だろうとわかるような気がしている。でもカポーティってなんだ、そう思って俺はそれを手に取った。小太りのめがねのおっさんが何となくこじんまり立っているつまらなそうなパッケージ。裏を眺めてカポーティというのがどうやら人の名前なんだと俺は理解した。ナニジンかなんてことは俺には当然わからないが、外人だってことくらいはわかる。
ん?名前ってことは何語なんだ。そもそも俺の名前は日本語ということで良いのか?意味のない言葉なのに?英語になっても俺の名前は一緒だから、ん?わからない。カポーティが人の名前と言うことはわかったのだが、結局何語だかはわからなかった。そしてこの人が小説家だということもわかったが、ノンフィクションノベル、というものがどんなものかはわからなかった。というか、ノンフィクションくらいはわかる。本当にあった話だ。でもノベルがわからない。本だ。本の話の時に聞く。ライトノベルという言葉もある。軽いノベル。重量じゃないんだろう。手軽なノベルだろうかな、という推測くらいはたてられる、しかしノベルがわからないからあれこれ考えても結局答えには俺は近づけないだろう。そう思って辞めた。

そして俺は「カポーティ」「ノンフィクションノベル」という武器を手に入れたのだ。それらしくつなげばまた俺の賢さは周囲に伝わるし、「カポーティ」という格好いいわけではない不思議な響きがなんとも絶妙な印象を与えるんじゃないかと俺は使える時を今か今かと暖めていた。しかし、それは見事な不発に終わったのだ。あいつらが俺の想定よりも頭が悪かったわけではない。わかりきっていたはずなのに、俺がすこし張り切りすぎたのだ。あいつらも村上春樹ならなんとなくわかる。知らなくたってイメージを構成して話を聞くことくらいはいつも出来ているようであったが、これはダメだった。俺の言っていることが何一つ意味がわからないという空気、表情。知ったかぶりをどこですればいいのかすらわからなかったことだろう。難しい。あいつらが知らないんだけど、それを話すとすごいと思われて、それでいてあいつらが理解できないといけない。そりゃそうだ、俺だってわからなかった「カポーティ」があいつらにわかるわけがない。それを肝に銘じて置こう。

そういえば「カポーティ」って名前かな、名字かな。そんなことを考えながらまだ裸のユリが濡れたケツを向けて息をしていることを思い出した俺は、体制を変えて、横向きに、後ろからユリの粘膜を感じながらゆっくり挿入した。気付けば俺の陰茎はとても堅くなっていたんだ。いまだべちゃべちゃに濡れていたため何の抵抗もなくユリの膣内に俺のチンポは入っていき、ぬるぬるの粘膜が俺に快感を与える。
それをおそらく間の抜けた顔で俺は感じながら、「カポーティ」は顔射するタイプの人かなと考えていた。
●今までに行った場所一覧はこちらから → 『世界一周で周った場所一覧』
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