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SpiltMilk

デジタル一眼レフカメラ「EOS6D」と「60D」でのあれこれ。世界一周やめての途中で帰国した阿呆の写真・動画ブログのはずだったんだけど最近なんなんだかよくわからなくなってきている適当な何かしら。

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好嫌

好き嫌いがあんまり無い。いやかなりあるんだけど、確実に好き!明らかに嫌い!とかそういうのってどう判断すれば良いのか良くわからない。どちらかと言えば好き、嫌いとかその程度でしか自身で判断できないように思う。
したいことなんかも一緒。どちらかと言えばしたい、ないししたくない。することないならする。することないからする。することなくてもそれはしない。お願いされたらする。どんなお願いされたってしない。エトセトラ、エとセとラ。

好きな○○は?っていう質問も苦手。好き嫌いはあるけどそういう時に自分はこれが好きだと断言して良いほど好きではないような気になる。それは己の好みや価値判断に自信がないことの表れなのか、それとも好みを判断する自分の基準が論点や視点で如何様にも変更できてしまうからかな。
気軽に好きな○○は何?って聞かれる時なんて、そんなに理由は求められてないのかもしれないけど、自分がそれを他のものと比べて一つ頭が抜けるほど好きである理由を示さなくてはならない気がしてなんとなく困る。示したい相手は自分自身かな?

さらに好きな映画は?アニメは?みたいな質問だと、相手が知っているものをあげたほうが良いのか、相手が知らない作品あげてもいいのか悩む。さらに、一つだけをあげてスパンと一本道を敷くように示したほうが良いのか、いくつもあげることによって点で輪郭を形作っていくようにしたほうが良いのかも悩む。
その人の好きな何かしらを聞くというのは、単純な会話の取っ掛かりでしかない時もあるだろうし、その人がどういった人なのか知る要素だったりもする。そういうことを考慮したうえで~とか考えているとめんどくさくなって結局適当な返答をすることになるか、これといって上手い返答が出来ずに会話が終了してしまったりする。何を間違ったのかいきなり批判的な話を始めたりする。コミュニケーションが下手な人間てどうしたらいいんだろうね。

好きな映画10本あげてくれ、なんてことを言われるとこれまた困る。もう視界の右上あたりにはすごい勢いで減るカウントダウンが見える。特にない制限時間に急かされて、普段全然頭に無いような作品が浮かんでくるから面白い。
相手が知ってるの?いや知らないので良いかな?10本なんだから半数くらいは知らなくて良いか。あ、やばい全然浮かばない。あ、浮かんだけどタイトル忘れたわ、どうしようかな。とりあえずヴィンセント・ギャロの作品二本突っ込んで…あーミニシアターばっかだとあれかな?有名どころなんかなかったかな。ジャンルもある程度バラそうか、洋画に邦画も織り交ぜて~なんて具合。大体人と接している時僕の頭はこれくらいてんやわんやになっている。好きなもの聞かれた以外の時でもね。

好きな色を聞かれるのも困る。好きな色ってそもそもどの部分に関しての質問なの?自分が身につけるものとしてってことでいいの?それがそもそもわからない。木や草の緑色は好きだけど、自分が緑色の服を着ることはほぼ無いように思う。別に嫌いじゃないけどイメージできない。着たいとも思わない。でも金属の緑色したカエルの小物とかは可愛いんじゃないかな?完全に今浮かんだだけの想像上の小物だけど可愛いと思う。欲しい。身に着けたい。
ほかの全ての色についても同様じゃない?その色が何色であるかってことよりも何がその色をしているかで話変わりませんかね?そういうことじゃないのかな?こんなこという人って超めんどくさい人なんだろうなってことはなんとなく想像に難くない。なので好きな色を聞かれたら適当に答えている。なんとなく自分が納得行く理由付けを自分にしながら。
正直質感や濃淡でも違うよね?好ましい緑も好ましくない緑もあるし、きったない灰色も美しい灰色もあると思う。結局好きな色ってなんなんさ。

小さいころはよく食べたいもののことで母親に怒られていた。何が食べたい?という質問に、○○「で」良いよ、という返答の仕方をしていたから。今にして思えばそりゃ当然怒るわなと思う。作って相手に出すにしても、外食で注文するにしても、「これでいいや」なんて気分で食事する人に食べて欲しくないもんね。でも小さい頃はそれがわかっていなかったようだ。ただ正直に「(特に食べたいものや一番食べたいものは今この場に無いけどこの選択肢の中なら)これでいい」と言っていたと記憶している。仕方ないっちゃ仕方ない。
何が食べたい?には「なんでもいい」と答えてこれまた怒られていた。でも「じゃあ寿司」って言ったところで不可能なわけで、寿司が食べたいけど冷蔵庫事情を考えるとそんな材料無いから無理だろうし、その中で食べたいと思う料理は浮かばないから結局口から出るのは「なんでもいい」。無理してでも「ハンバーグが食べたい!」とか言うべきなんですかね?と思ってみたりもして、そう言ってみたこともあるけどそう言ってしまったら言ってしまったが最後夕食の間中ずっと「望みのものが食べられています美味しいです嬉しいです」っていう演技をしていなければならず、とても窮屈な食事になった記憶がある。好き嫌いって面倒だ。

以上のことを踏まえたうえであえて好きな映画10本でも書いておこうかな。
上述したのと同じような思考でくるくるした結果だと思って眺めてもらえたら面白いような気がしなくも無い。それと時々自分でも変だなと思うことなんだけど、自分でこの映画は割りと好きだと記憶している映画って内容を良く覚えていないことが多い。タイトルは覚えてるのに内容はうろ覚え、なのに好きだという記憶。不思議なもんだねぇ。今度見直してみよう。ではでは順不同。
ブラウン・バニー、ドニー・ダーコ、落下の王国、46億年の恋、ファイト・クラブ、リプリー、dot the i 、セックス依存症だった私へ、砂と霧の家、ラスト一本選べず。

好きなアニメはなんだろな。
Ergo Proxy、カウボーイビバップ、攻殻機動隊シリーズ、のんのんびより、BACCANO!、モノノ怪(怪~ayakashi~含む)、ばらかもん、直球表題ロボットアニメ&てさぐれ!部活もの、人類は衰退しました、あとはなんかな、可愛いキャラクターか花澤さん出てたらだいたい好き。

音楽でも映画でもアニメでも、ほかの人のおススメを聞くの好きです。
でもそのおススメされたものってそれだけで満足してほぼ確認しない。
それも直さなければなと強く思っている自分の駄目なところである。
誰かなんかおススメしておくれなんし。

いや今こういうの見る時間ないな。
おやすみなんし。




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手帳

うひゃああああああああああああああああと絶叫したいくらいにいろいろめちゃくちゃである。
何がどうめちゃくちゃなのかと言われるとまぁそれはよくわからん。自分の人生が?でもそういう風にいうためには己の人生が少しでも整然としていたか、ある程度の指針を持っていたことが無ければならないと思うんだけど、もともとそんなまともなもんじゃないから別に何もめちゃめちゃにはなってませんでした。失敬失敬。

手帳を買った。というか注文した。それが今日届くはずだったんだけど、タイミング悪く一瞬外に出ていた時に黒猫さんはやってきたようで受け取り損ねてしまった。残念。
2013年からだったかな?手帳を使おうと試みている。それまで手帳なんてものは全く持ったことが無かったんだけど、何の拍子だったか持ってみたくなったのである。でもそれは結局三日坊主よりは良いものの半分も使わないで一年が終わってしまった。何を書いたら良いのか良くわからぬまま。
だもんで今年も全く同じものを買い、2014年が始まって、一月頭から長期の海外旅行に出ていたので割と記入はしていたんだけど、途中から全く書かなくなり、これまた後半は白紙である。残念。前回の二の舞。二の舞を舞うの得意なんですよね。書かないってことは必要ないんだから持つ必要ないんじゃないの?と思われるかもしれないけども、持ちたいじゃないか!書くの下手だけど読み直すと楽しいからねぇ。

ということでまたまた買ったのです来年の分を。一月始まり。日曜始まり。
今回は前回の前々回のとは違う手帳だけど、タイプは同じようなもんで一日一ページ書けますよっていうやつ。あのサイズの紙を埋めるなんて一瞬のはずなんだけど、なんか勝手に整ったものにしなきゃだめな気がして考えているうちに面倒になるってパターンな気がするから、来年は適当にでもとりあえず毎日書こう。めんどいから明日まとめて書けば良いや、ってのも無しにしよう。

そんな来年の抱負?

東名阪ツアーに同行している間に何故か体重が4kgも増えた。何故なの?
せっかく2kg落としたのに4kg増えたので3歩進んで6歩下がるが如き歩み。亀より蝸牛より遅いわ。前向きに生きるとこうなるから後ろ向きに生きれば良いのかな、そうしたら俺の歩みは毎日3歩である。早い。
何故か健康的な生活を送ると太る。去年も生活リズム整えて毎日ジムに行って運動してたら体重増えたし。なんなんまじ。

そんなこんななので現在はとりあえず減酒を開始し、食事を野菜だらけにし、家で適度に筋トレをしている。そしたらまた2kg落ちた。体重短い期間に変動しすぎじゃない?そういうもん?今のところこの生活を続けようと思っとります。
あ、減酒ってのは一人酒を一切やめることで御座います。人と居たら普通に飲む。でも僕の飲酒はほぼ一人酒だったので、お酒の量は劇的に減っている。偉い。偉いのかどうか知らんけどエライことだ。減酒厳守ってことでしばし過ごします。健康第一。

健康って大事だなぁと健康でない人を眺めながら他人事のように思う日々。
決していろんな意味で他人事ではないんだけど、それくらいポケーッと傍観していないと飲み込まれそうだ。本当の、って言ったらおかしいかもしれないけど、これが本当の鬱ってやつなのかな?と眺めていて思う。そしてそれが本当だからなのか、その人間の過ごしてきた時間を知っているからなのか、その人の吐くネガティブな言葉が割りと大きな影響力を持って耳に入ってくる。なんだか不思議な感じ。曖昧に書くから意味不明だな、やめよう。

なんかポジティブななんかないかな。

今フルサイズの一眼レフが欲しくなってしまっている。
EOS6Dかなぁああああ。でもお高いんですよ。APS-Cの持ってはいるから…って諦めようにもフルサイズ欲しいよぉおおおおお。暗所での綺麗さが全く違うじゃないか…欲しいよぉおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ…マイクも欲しいよぉおおおおお。
僕は今は基本的に動画撮影だからマイク大事。欲しい。でもこれまたお高い。使いどころ考えてステレオかモノラルかとか、でもPCMレコーダー持ってるジャン!とも思うけどマイクとそれとは使う場面が違うわけだから…とか脳内学級会。
僕の脳内には「静かに!」とかいう担任もいませんし、「ちょっと男子!」とかいう委員長もいないので学級会が終わりません。困った困った。

何の話だっけ。まぁいいや。おやすみなさいな。

いや、今思い出しましたがたしかこのブログは動画・写真のブログとかそんな位置付けだったような気がするので、このへんもうちょい詳しく書こうかな。
僕は現在ライブの動画撮影が多い。というかほとんどなんですが、ライブハウスと言うのは大抵が暗い。なので暗所に強いカメラが欲しくなるわけであります。APSCサイズのとフルサイズのでは圧倒的にフルサイズのほうが暗所には強いため、かなり綺麗に撮影することが出来ます。
そうなってくると候補になるのはEOS5Dmk3かEOS6Dになり、固定でなく手持ちでの撮影も多用することを考えるとより小型の6Dが良いんじゃないかなと思っているのが現状。レンズ含めると軽く20万円は越えてくるから全然気軽に買える範疇じゃないけどもねぇ。
ほんでもってマイク。いろいろ調べて現在気になっているのはRODEというメーカーのマイク達。VIDEOMICRYCOTE、STEREO VIDEO MIC PRO、VideoMic GOの3つ。触っても使っても無いからそのあたりは全くわかりませんが、スペックや出来ることを考えるとどれも一長一短。ステレオモノラルで考えるか、取り回しのし易さや重量を優先するか、電池式か手軽なプラグイン方式か、やっぱり価格か。どうしたもんかなぁ。なんてそういう楽しい悩み事の最中です。悩むだけでどうもしないかもしれない悩み。

ちょっと機材っぽいこと書いた。満足。

そう言えば今日はたぶん地味にやってはいけないであろうことをした。
でも悪いことじゃないし明確に駄目だと禁止もされていないし、まぁもし駄目だったとしてもそれを言ってない人らが悪いよねそうだよねっていうことでいいんじゃないかな。

そんな一日でしたららばい。


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記憶

記憶って誰でも知っている通り、覚えていること全てが常に頭に浮かんでいるわけではない。何かの拍子に、頭の片隅でずっと意識されていなかったような記憶を思い出したりする。それは時として都合良く改竄されたものだったりんなことなかったり。
ある程度なら記憶の印象を好きに変える事もできるし、肯定も否定も出来る。だから助かる一方で本当につまらないくだらないもんだなと感じなくもない。楽しかった記憶を今の自分と照らし合わせてつまらなかった記憶にも出来るし、つまらなかった記憶を楽しかったものだと認識することも可能。好きだったものを以前から実は好きじゃなかったと自分に落とし込むことも出来るし、本当に嫌いだったものを実はそんなに嫌いではなかったかなと塗り替えることすらも出来てしまう。それは結局のところ事実なのか嘘なのか。便利だし必要な機能だとは間違いなく思うけどけっこうな勢いで気持ちが悪い。

人は一時的になら本当に膨大な量のことを考える。そして記憶にほぼ残らず消えていく。それを記録しておくことは良いことだろうなと思う一方で、ネガティブなものを残しておくと、自動的に消えていたはずなのに残していたせいで改めて認識してしまうということもあるだろうと思う。だからあまりにネガティブなものは残さないでおこうと思ったり、それでもやっぱり正面から対決してみようと残してみたり。でもやっぱり今はそういうのを残す意味はないと感じている。これこそ今一時的に浮かんでいる考え方かもしれないけどもね。

僕はレシートが意外と好きだ。
意外と、なくらいだからそんなに好きではないし、基本的には捨てるけど。
でもほんとなんとなくな時に気分でそれを取っておいて、数ヶ月ないし数年経ってからそれを見るのがとても楽しい。レストランや居酒屋のレシートだと、まず日付がわかり、食べたものがわかる。この日ということは誰と行ったんだ?何曜日かな?料理も写真でなく文字だから見ながらどんなものだったか考える。あ、こんな感じだったはずだ!こう食べたんだ。ということはこれはあの人と食べているな。こういう話をしたんだ。てことはこの前にあそこへ行って、あんなこともあったなぁ、なんて具合にレシートから大量にその一日の出来事などを思い出すことが出来る。
料理の写真で良くね?と思う人がいるかもしれないけど、それだとちょっと違うように思う。
写真だとまとめて一気に確認が出来るけど、その作業はあまり「思い出す」という作業ではないような気がする。というのも写真からの情報が多すぎて自分の頭があまり動かず、余計なエピソードが沸いてきたりはしない。あんまり。
でもレシートだと断片的に思い出すことでそれがどんどん鎖状に連なって思い出され、ズルズル記憶が引っ張り出されているような感覚が味わえるのである。個人的にはね。

だからなんとなくレシートって好きで、時々取っておく。
確認する前に失くしたり読めなくなったりするけどね!

レシートを見て思い出す記憶も頭の中に収納されているはずなのだが、基本的にレシートを見る以外で思い出されなかったりする。そういう類の記憶って本当にいくらでもある。そしてそういう類の記憶は、要するにレシートを見ない限り思い出されないわけなので、レシートがなくなると消滅すると言っても過言ではないと思う。どこかへ出かけた!ってのは割りと記憶に残りやすいのに、食事って意外と残らない。そりゃまぁ毎日毎日延々繰り返されたきた行動だからかもしれないけど、もったいないよね。
人は自分が何かを忘れたと実感することはあまりない。台所に何を取りに来たか忘れたというような短期的な場合や、酔って昨日のことを覚えていないという特殊な場合を除いて。

でも前述の通り、何かを見ることでそれに付随して想起されることしかできない記憶は、それを捨てるともう思い出すことは無いのだから、それを捨てることがすなわち記憶の喪失だと言って良いと僕は考えている。だからレシート一枚捨てると、その食事の記憶は無くなるんだな、と実感しながら捨てる。
物を捨てる、というのは記憶を失くす実感を強く感じられる手段だなぁ。そう思いませんこと?

最近なんとなくの気分で本を捨てたり人から貰ったものを捨てたり写真を捨てたりしている。
特に意味はないし、意味はないってことほど意味があることも無いだろう。
物を捨てた分その記憶容量はHDみたいに空くのかどうかは知らないけど、感覚的に身軽にはなる。その身軽さが良いものなのか、地に足が着かなくなるだけなのか今はわからんけどもね。

こないだ書くって言ってた記憶のお話でした。ちゃんちゃん。


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車内

こないだからいろんなことをしっかりやり始めようと思い、毎日日記に書きたいことがたくさんあるんだけど書けていない。夜書こう、と思うと何かしらの用事で夜書けない事があるので書けるときに書くことにする。今日は夜だけど。あと書きたいと思っていたことを覚えている範囲で書いておこう。

・物と記憶の関係について。忘れるということをしっかり味わう。
・妖怪物隠しの話。スリッパとか鍵とか爪切りとか。
・長時間の車移動中にやったゲームの話。
・減酒開始のお知らせ。でもなんか知らんけど体重増えてる悲劇。

覚えてるのはこんなもんかな。ちゃんと書こう。
今日はもうタイトルを「車内」にしちゃったので、車での移動中にやったゲームの話をしたいと思う。それ以外は後日。後日とか言って書かないパターンが毎度のことなのですが今回は書くよ!有限実行だよ!ぬはは見ておれ見て俺。

先月末から今月頭にかけて『最終少女ひかさ』というバンドの東名阪ツアーに撮影スタッフとして同行させてもらっておりました。あれ、東名阪って書くと京都入らなくない?てか「東名阪」って書いたら自動車道とかは「ひがしめいはん」って読むのね。知らなんだ。とうめいはんとうめいはん。

そんでもって今回はその移動を札幌から全て車で行ったので(津軽海峡はフェリー)、移動時間の長いこと長いこと。此処ではその長い移動時間にやったゲームを紹介しておきたい。今後長時間複数人でドライブする予定のある方は参考にして楽しいドライブを過ごしていただければなと思います。


ゲームその1「すぐ言うゲーム」

バナナマンの番組で見たことのあったゲーム。ルールは「簡単な質問に対して高速で答えるだけ」という実に単純なものなのですが、本当に質問されたら間髪いれずに答えなければならないので脳みそがバグって意味わからんことを言ってしまうのが面白い。
「好きな男性芸能人は!?(早口)」「りんご!!(早口)」みたいな感じになる。
やってみると意外に難しくて、思ったように言葉が出ない。考える暇は無いんだけど、でも見当はずれなことを決め打ちでいうのはつまらないからなんかとりあえず頑張ってみようと思うと、「好きな果物は!?」「西から来たやつ!!」みたいにさらにわけのわからん感じになる。難しい。
このゲームは質問がけっこうすぐに尽きてしまうし、なんとなく疲れるし、すぐ終わってしまうのでそんなに長時間は出来ないかもしれない。でも気が向いたらいつでも出来る。そんなゲーム。


ゲームその2「吉田さんゲーム」

架空の人物である「吉田さん」に当てはまるであろう言葉を順番に言っていき、吉田さんのディテールをみんなで作り上げていくという遊び。言った単語が「吉田さん」には当てはまらないとみんなに判断されるか、自分の番の時に何も言えなかった人が負け。
ゲームはリズムに乗って行われ、発言の間には二回の手拍子が入る。誰かが発言したあとに、それが「吉田っぽい」と思えばほかの人が「ヨシダ」という合いの手を挟み、また二回の手拍子で次の人の番となる。この合いの手を誰も言わなければそれは「吉田らしくなかった」ということである。ゲームの進行を文字にするとこんなかんじ。

タンタン(手拍子) → 「チャーシューメン」 → タンタン → 「「「ヨシダ」」」 → タンタン → (次の人)「二児の母」 → タンタン → 「「「ヨシダ」」」 → タンタン………
ってな感じ。わかりづらい。もし、
タンタン → 「角刈り」 → タンタン → 「「「…?」」」 → タンタン となると角刈りと言った人の負けである。判断基準が曖昧だなと思われるかもしれませんが、そこは車内の人たちの共通認識具合を楽しむ部分なので、そういうもんだと思ってやってもらえたら合う人は楽しいんじゃないのかなと。中島らもの「こどもの一生」に出てくる「山田のおじさんごっこ」を髣髴とさせる高尚な遊びですねありがとうございます。



ゲームその3「20の質問」

これは質問の数が違ったり名前が違ったりしますが割りと有名なゲームかなと思うので知っている人も多そう。そうでもないかな?欧米の映画の中で子供とお父さんがやっているシーンがあったりします。
出題者が頭の中に何かをイメージし、それを回答者が当てるというもの。回答者は出題者に対して20回だけ質問することが出来、その質問を全て終えるまでに出題者のイメージしているものを当てられたらクリア。質問は全てイエスかノーで答えられるものでなくてはならない。
例えば出題者が「犬」を思い浮かべているとすると、「それは食べ物ですか?」「いいえ」「それは生き物ですか?」「はい」「それは大きいですか?」「んー、いいえ」「それを触ったことはありますか?」「はい」などというやりとりを繰り返して正解を導き出します。
イメージしているものをもっと限定的なものや固有名詞にすることで難易度を上げることも出来ますし、質問回数の制限を変更して難易度を下げることも出来ます。なかなか楽しい。子供にもわりとわかりやすいゲームなので、小学校にあがっている子ならだいたいできるのも良いところ。海亀のスープの簡易版みたいなゲーム。



ゲームその4「予測変換当てゲーム」

もうこれはタイトルそのまま。出題者の携帯の指定した五十音の頭にある予測変換の単語をあてるだけ(「の」めっちゃ多いななんだこれ)。ただそれだけ。特にこれと言って盛り上がりポイントはない。ヒントが無いと全く見当が付かなかったりするのでそのうち大喜利みたいになって別な楽しみ方になってくる。


ゲームその5「あいうえお作文」

よくあるあいうえお作文同様、文章や物語として繋がるよう順番に単語や短い文章を言っていくゲーム。ただ最初の一文字が順番に指定されるだけなので簡単かと思いきや、つながりがあるので以外に言葉が浮かばず苦戦する。そしてあまり考え込むことなくサクサク進行することでかろうじて繋がっているようで支離滅裂という独特の文章になるのが面白いところ。短く当たり障りの無い形で繋ごうとする人、あまり文章の脈絡関係なく自分の番が来たらこれを言ってやろうと決め打ちしてくる人、いろんな思惑の中保たれる絶妙なバランス。ただ繋ごうという人だけだとごく普通に何も起こらない文章になるのだろうし、繋がりを考えない人だけだとバラバラ過ぎて面白くないのだろうなと思う。そうじゃないから面白い。みんな違ってみんな良い。

僕らがやったときのものを二つ。

あいうえお順



ある日、
いつもの駄菓子屋さんで、
植木鉢を、
選んでいました。
遅くなってしまったので、
蚊取り線香を買ってきてとお母さんに言われたので、
着替えてからにしようと思いました。
靴を履いたら、
結構小さくて、
困ってしまいました。
さて、そろそろだな。
潮時かな。
少しなら大丈夫かな。
せめて、
ソクラテスぐらい頭がよければなぁ。
例えば、
塵取りで、
つまんで
手にとって、
トンボを
舐めるように
握りしめて、
塗りました。
ネトッとしたけど、
ノリほどではなかった。
半端ない、
平井堅の歌声は、
不機嫌のように聞こえて、
ヘモグロビンが、
ほれ見たことかといいました。
まつ毛を抜きたくなってきたので、
短かったので、
無理やり、
根元にどーんと、
モグラを叩きつけた。
やっぱり、
ゆりさんの
ヨッシーアイランドを、
ラスタカラーにしようと思って、
利口ながらも、
ルール通りに、
連打して、
ロケットみたいにしてやった。
わしは今日も生きている。

ある雨の日に、
いつもの道を、
右折して、
枝の広がった、
おっきな、
柿の木を、
刻みながら、
繰り返し思い出している。
けん玉の世界チャンピオンが、
子分にしてやると言ってきたので、
さらっと、
心臓を、
酢飯でしめて、
先祖のお供え物にしました。
そろそろ、
台風が、
中国の方面に、
蕾を降らせる頃だろう。
手強いが、
とりわけ、
なんでも買ってくれるおじさんが、
肉団子を、
ヌンチャクで、
根こそぎ、
ノーリアクションで、
嵌めてくれるだろう。
日に日に、
膨れ上がる、
扁桃腺が、
放物線を描いた頃、
麻痺しながら、
見えた景色を、
ムササビみたいだねと言って、
召されてくれないか。
もはや、
やりとりは、
夢のような、
夜に消えた。
来世では、
立派な人に、
ルーリードのTシャツを、
レンタルしたい。
ろくでなしだけど、
悪くなかった。


意味がわからない。でもなんとなく面白い。
やった本人だからかもしれないけどね。知らん人が読んだら「は?」ってなるだけかもしれないけど。でもやった本人が楽しいということは、やったら楽しいってことだから良いんじゃないかな。おすすめ。



おすすめゲームはこれで全部です。おしまい。
日記なんだからツアーであったことでも書けば良いのかも知れないけど書かない。あえて。
あえてっていうかゲーム書いてるだけで疲れたから。気が向いたら書くかもしれない。
というかこのブログもともと写真動画ブログとか名乗ってたはずなんだけどもう文章しかない。なんなんだこれは。当初のアイデンティティを完全に失ってしまっている。残念。
というのも、ノートパソコンがぶっ壊れあそばされまして、電源を入れるとキーボードの左のほうからバチバチという中で火花が散っているような音がするのである。なんか熱いし触ったら手にも振動が来るほどである。けっこうまずそう。電源入れてると壊れそうなので入れられないんだけど、っていうかもう壊れてると言って良いと思うんだけど、今まではそっちで写真の管理や編集をしていたから今写真いじれないっていうね、そういう現状です。

この文章はデスクトップのほうで書いております。こっちで動画はいじれるから大きな問題じゃないんだけど写真いじりたいなー。普段あんまり写真撮らないけどツアーではけっこう撮ったのになぁあぁあぁ。残念。
そういえば動画いろんな人に送ったりしなきゃならないんだった。やろう。

天の川も早く納得の行く形で完成させたい。素敵曲です。ムシケ。

本日は此処まで。

おやすみなさいまし。



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対価

お金を稼ぐのが苦手だ。

此処では働くのが嫌とか嫌いとかそういう意味合いでなく、
稼ぐ手段を行うことがへたくそだという意味合いでもなく。

どちらもそうっちゃそうなんだけど、言いたいのはその部分じゃない。
「お金を稼ぐ」と言う行為になんとなくの罪悪感を覚える。
お金を貰う、お金を持っている、ということによくわからない汚さを感じる。

どういう経緯でとか、お金の構造的などの部分にとか、ちゃんと理論立ててゆっくり考えればわかるのかもしれないけど、今は面倒くさいからそれはしないでいる。ただとりあえず自分はそう思ってしまうなぁという実感を改めてしましたというだけの話。

何かの対価としてお金は貰う。
給料、謝礼、謝金、俸禄、報酬とかなんかそんな言い方?
要するに物々交換である。本来なら物々交換で良いんだけど、それだと持ってるものしか渡せないし、なんだかんだ面倒だからその間に入るオールマイティなものとしてあるものがお金だと思っている。
生きていくには食事をしなければならない。だから食べ物がいる。だから食べ物を作る、ってなふうにみんな出来ればそれで良い話だけど、そうではないから作っている人からもらう、ってな話になる。でもただでもらうわけにはいかないから、代わりに何かと交換してもらう。それが労働力としてでも良いし、その人が必要としているものでも良いし、何かしら娯楽でも良いし、ってなふうに出来ればそれで良い話だけど、そうではないからその仲介するものとしてお金がある。
なんだろ、この構造が嫌いなのかな。

それと「必要以上に」っていうのも好かない要因かもしれない。
物々交換の延長だから必要な範囲あるならそれはそれでまぁいいんですよ。
なんつって今の僕は必要以下しかお金のない阿保垂れなんで、ちゃんと働けってのは重々承知だし何が言いたいのって思われるのも理解している。何が言いたいんだっけ。

必要不必要ってのも未来への蓄えとか、今後大きなことに使うんだとか、子供に残すんだとか含めたらなんも言えない話なんだけど、まぁそういう部分があるとして、不必要なまでに稼ぐってのもなんとなく違和感がある。
報酬ってのは対価なわけだ。その価値は誰が決めるのか。場合によりけりだ。
でも報酬や謝礼で「儲け」が出るならそれは対価じゃあないんじゃないかっていう気になる。
そうしないと生きていけないってのはその通りだし、それじゃないと社会なんて回らんだろうから、狭く限定した関係性においてしか言及できないけども。ただどうしてもそういう違和感が昔からある。

でも自分が働いていたときにはそう感じなかったように思うので、何かしら目的意識があればそれは必要ということになって無意識的に肯定していたから変な気はしなかったのかな。それにどう考えても貰っている給料以上の働きはしていたなという自信も確信もあるし。書いて思ったけど自分で自分について自信を持っていえる数少ない部分だと今気付いた。割とまともに働いてましたよ僕。

ちょっと待ってね、読み返してみたらなんかめちゃくちゃなことを言っているな。なんだこれ。
これは他人の行為どうこうについて書いているものではないです。ただ自分の感覚的な、自分はこう感じてしまうんだよなぁということを書いているだけなので、人間として余剰な金を稼ぐのは悪だ!とかそういうことが良いたいのでは全く無い。自分が碌に働いていないことへの言い訳がしたいのでもない。いやどっちかっちゃあそうかな?
でも書き始めて言いたかったのは、今後ちゃんとお金稼いで生きていこうと思っておりますよ、というそれだけである。全然そういう文章になってないけど。

今現在自分が適当に生きてしまってきたことによる対価をバッシバシ食らっているわけですが、まぁそれも踏まえてちゃんと生き直さないとなぁと。そういうお話をしようと思いまして、その前になんとなくこんなことを考えてるなぁってのを残しておこうと思った次第。
この文章も文章にしておかなきゃなぁと気分乗ってない状態で無理やり書いているからこんな感じになっている。でも強制していればそれが習慣になるさね。

タカイタカーイの対価はいくら?

お店で「こっちは客だぞ!?」とか「金払ってんだぞ!」みたいなことを言う人がいるという話を聞くけど、これ本当に意味がわからない。前述の通り物々交換なのでそこに上下なんてないじゃん。同じようなサービスがたくさんあるから、そこで競争が起こって客へのサービスをより向上させようという構造はわかるけど、それに胡坐をかく意味がわからない。
サービスないし商品を貰う、お金を渡す。サービスないし商品を渡す、お金も貰う。
なんにも変わらん。お金が間に入るからなんか話がおかしくなっている感。お金力持ちすぎじゃ。
このお店の店番します。ありがとう大根あげます、みたいなことでしょ。
その間にたっくさんの人間と工程が含まれているだけでさ。
歌を歌います。素敵です牛丼並み盛りあげます、みたいなことでしょ。
ホームページ作ってくれてありがとう御座いました照り焼きマックバーガーあげます、みたいな。
そっから本当ならわらしべ長者しまくらないと欲しいものまでたどり着けないんだけど、それはさすがに面倒だからお金である種省略しているのであって、お金払う人が偉いとかは全く無いじゃない。だからあの感じ大嫌い。

「お客様は神様です」っていうのも売る側がサービスの質を向上しようと言う意識のもと前提とするものであって、客が意識するものではあり得ない。頭悪すぎてやばい。

てろてろ。脱線。

自分が何かをすることの対価の設定の仕方がわからん。
自分が働いたと思えるほどじゃないからなのかもしれないけど、お金を受け取ると悪いことをしたような気になる。いやいやそんな対したもんじゃないよ、っていうね。でもたいしたもんじゃないってのは確実に失礼だし、適当なものを作っていると思っているわけでは全く無くて、自分の中では出来るだけ良いものだと思っている。でもやっぱりいやいやいやってなる。お金貰わないと生きていけないけどね。楽なバイトしてた時もそう。しているときは楽だなーこれでお金もらえるのかーって思ってるけど、いざお金貰うと碌に働いてないんだからこんなにはもらえないですと返したくなる。
自分の技術や経験に自信が持てて、自分以外には出来ないものだと思えたらそういう感覚はなくなるのかな。ということは自分に自信が持てればいいわけで、自分に自信を持つにはそれ相応のあれこれが無くてはならないのだね。ガムバロウガムバロウ。
お金貰っている大多数の人は自分のしていることとお金がちゃんと対価になっていると思えているのかな。そんなん気にしていないだけかな。

結局何が言いたかったのか。だらだら書くのはだめだな。でも思ったことは極力残すようにしようそうしよう。またポストエバーちゃんちゃんと使お。

ららばい。
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