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SpiltMilk

デジタル一眼レフカメラ「EOS6D」と「60D」でのあれこれ。世界一周やめての途中で帰国した阿呆の写真・動画ブログのはずだったんだけど最近なんなんだかよくわからなくなってきている適当な何かしら。

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怠惰

怠惰な生活を送っている。別に最近とかじゃなくて自分は元来そんな生き物だけども。
自分でしっかりと自覚をしたうえで、自分の時間を浪費するというあり方はある種自傷行為に似ているのじゃないだろうかなと考えている。とは言っても僕はリストカッターな方々と違って自身の手首を切ったことはないからそういう気持ちはわからないし、自傷すると自称している方々だって理由や目的、考え方もそれぞれみんな違って多様だろうから一概には言えないけど。
じゃあ何をどう思って怠惰に時間を過ごすことと自傷行為が似ているとこの口は言うんだろうね。えっとね、あれだ、その辺言葉にして説明するのも面倒だから察してくれ。察せなかったらこいつ何言ってんだ阿保かと思っておいてくれ。

「愚行権」という考え方がある。高校の倫理の授業で知っている人もいるんじゃないかな。
J.S.ミルが言ったものだ。ミルと言えば「満足した豚よりも不満足なソクラテスのほうが良い」という言葉で有名な彼である。個人的には満足した豚は間違いなく幸せだから俺はそれならそれでいいなぁとも思っている。関係ないけど。そもそもミル、お前には豚が満足してるかどうかわかるのか?ちょっと勝手に人間のほうが高等だとか思っちゃってんじゃないの?その時点で豚より上だと満足している豚はどちらかと言えばミルお前はなんじゃないの。比喩表現にグダグダいうもんじゃないよね。
愚行とはそのまま愚かな行為。愚行権とは愚かなことを行う権利ということなわけですが、この愚行権のいうところの愚かなことというのはあらゆる愚かなことを指すのではなく、「自分にとって不利益となる行為」を指す。そんなんする必要ある?誰がすんの?と思うかもしれないけど、案外みんなやる。ミルは自由を語るときにこの愚行権も「他人に迷惑をかけない範囲」であれば認めるのが本当の自由だと言っていた、はずである。よく覚えていないから間違ってたら申し訳ないけど。

厳密に言えば、己のいかなる行動も他人の迷惑にならないと言い切ることはできない、と僕は考えてるんだけど、その立場になるとどんな行動も出来なるからそれは一旦置いておくとして、愚行権の最たるものといえば何なのかと言うとおそらく自殺じゃないかなと思う。
他人に迷惑をかけず、自分にとって不利益であること。どんな形であれ死んだら方々に迷惑かかるわ!とか、自殺が自分にとって不利益でない場合だっていくらでもあるだろ!とか、そういういろいろ不確定な要素は無視しての回答だけど。

なんの話しようと思ったんだっけか。

そう、自傷行為もこの愚行に含まれるでしょうさ。
僕は自分の肩やら首やらを焼き切ったことしかなく、手首切る人の気持ちを正確には知れないから愚行と言い切れはしないけど、まぁ愚行でしょ。良い意味でも悪い意味でもなく、そのままの意味として。
僕はかつて愚行権が好きであったと共に愚行も好きだったので、わざと己でもって火傷してみたりジャガイモの芽を飲んで自分で毒の実験をしたりしていたんだけど、それは特に厭世からではなく興味からであって、でもそれは結局愚行であると思う。

怠惰に過ごす、というのもなかなかだ。ただ、怠惰に過ごすのは愚行ではないかもしれない。
そこに己に不利益があるという自覚がないと、愚行足りえない。
焦燥感といらだち、劣等感に包まれながら、それでも行動を起こさず、ただ怠惰に時間を過ごす。その意味、また無意味さ、戻らない限られた時間などをリアルに実感しながら、その場しのぎで曖昧な目的意識や適当なタスクを設定しそれを実行した気になる、もしくは無理やりな理由付けをして休むことを一時的に肯定する、結局どうしたって後悔するしかなく、それをわかっているのに怠惰に過ごす。これほどの愚行があるだろうか。自身には不利益しかない。精神的な自傷行為と言って良いんじゃないだろうか。

どういう人間がそんなことするんだろうね。

こういうなんの意味の無い日記を書くことに時間を割いて、その程度のことによって今日自分は何かしらしたなと自身を無理やり納得させつつ、実際何もしていないことは自分が一番よく知っているから芯のほうでは焦燥感に焦がれて干からびそうになっている、そんなゴミとして唾棄すべき人間がいるんだろうさ。

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寝雪

札幌にガッツリ雪が降った。
少し前にも軽くは降りましたが、今回は割りとガッツリめ。 でもたぶんまだ根雪にならないんじゃないかな。明日の昼には解けてるんじゃないかな。予報見てないから適当だけども。

雪があまり降らない地域の人たちも「ねゆき」と言う言葉って知ってるのかな?
漢字だと「根雪」と書きます。なのでこの日記のタイトルは誤字でございます。
しかし誤字ではあれど個人的にはこっちの漢字で良くね?と思っている。
というか正直いい歳になるまでずっと「寝雪」って書くと思ってたからね。

雪国の人は毎年なんとなく使う言葉じゃないかな、ちなみに僕は毎年使っている。毎年毎年「去年根雪になったのいつ頃だっけ?」って絶対言ってる。それを知ったからどうなるわけでもないし、別に本当に知りたいわけじゃないんだけど、秋と冬の間くらいに会話に困るとこれを意識的にではないにしろ毎度言っていると思う。
そうやって改めて考えてみると会話に出てくるだけで文字として見る機会って全然無い。たぶん。それに意味としても「寝」の字で違和感が無い。
「ねゆき」というのは「降り積もった雪がとけずに残り,以後の積雪の下積みとなるもの」を指す。降って解けて降って解けてを繰り返した後、雪が解けずに積もるようになったその雪。春まである雪。根っこになる雪的な意味付けで「根雪」なんだろうけどさ、春まで寝てる雪ってことで「寝雪」のほうがしっくり来ないかい日本語の機微そういうの含めてそこんとこどうなんだい。
そこんとこどうなんだいっていうか俺は「寝雪」を推す!どこでどのようにしてかは知らんけど!

「冬になると北海道の人間は家でアイスを食べる」というようなことをここ数年何度か耳にしたり目にしたりしている。たしかに北海道外の人が思っている以上に冬の室内はストーブなどのおかげでかなり暖かく、半袖短パンで過ごすことも出来る。だからアイスを食べることも可能であろう。とはいえ、僕には冬にアイスを食べるというような習慣は生まれてこの方ほぼ無かったように思う。もともとそんなに食べないし、冬でもちょっとは食べるけど季節による変化なんて差ほど無い。
だったはずなのに、「北海道の人間は冬にはアイスを食べる」という適当な情報に感化されたからか、なんとなく「冬だな、アイス食べたいな」という気分になっている自分もなんともまぁ適当なもんだなと実感している。

そんな実感をしながら今日はアイスを三つも食べた。今日食べた食物アイスだけ。
適当な食生活。そういえば77kgあった体重が75kgになってました。適当な減量。
そういえばこないだ買ったばかりの携帯失くしました。困ったもんだ。

春夏秋冬一貫して適当に過ごした一年でした。ありがとうございました。(まだ一ヵ月半あるけど)

おまけ
北海道の縦型信号機。
雪の積もる面積を少なくするために雪国の信号は横じゃなくて縦に信号が三つ並んでるんですってよ。

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川獺

【日常的に身につけるものには納得したい】

結局携帯が復活した。もっと長期間持って居ないままでも良いかなとは思っていたのですが、以前よりも自身が持っていないことによる周囲への迷惑が大きいような気がしたのですぐに買い換えてしまった。しかし持ってみるとやっぱり全然使わないもので、やっぱり要らなかったかなぁとも思っている。

そんなiPhone6。

こないだまで使っていたのがiPhoneの4Sだったから操作の慣れなど的にiPhoneのままが良いなぁ、でも6はでっかいし4Sはもう売っていないから5Sにしよう、と思っていた。けれども意外に5Sの良い具合のが見つからず、手に入らないといわれている6が即日受渡可だったのでそれにしてしまった。

「なにかしなくちゃな」っていう焦燥感にだけは溢れている日々、とりあえず髪の毛でも染めてみっかなという気分で、普段自分のしない選択肢を拾って怠惰に変化を求めてみる。でっかいうえに過度に角が丸っこいもんだからめっちゃ持ち難いし普段選ばないであろう黒い本体だし背面はなんかカッコ悪いし薄っぺらいしカメラは出っぱってるし。そんな普段の自分であればおそらく選ばないであろうiPhone6。容量も無駄に128G。
じゃあケースも普段自分が選ばないようなものにしよう。ん?普段自分が選ぶケースってどんなだ?てかそもそも『「普段自分がしないであろうこと」をしようという発想』自体普段から割りとしているような気がするので、普段自分がしないであろうことをするよりも普段自分がしないであろうことを考えてから結局普段から自分がしているであろう選択肢を採用するが結果的には普段自分がしないことをしているってことになるんじゃないのどうなの?と脳みその迷宮に囚われながらケースを眺めること数十分。結局選ぶことが出来ず退店。うん。これめっちゃ普段の自分ですありがとうございます。

【カワウソの通勤財布】

裸のままで良いかな、とも思ったけどやっぱり裸で持つにはでかく薄っぺらなのですぐに壊れそう。4Sは裸で使ったりもしていたから6はケースに入れて使うことにしようそうしようじゃあどれにしよう。普段選ばないのは手帳型のケース?バンパー?変形して立てられるやつ?防水耐衝撃?なんかもう考えるのめんどくさいな。もうなんでもいいや。
「カードと現金を入れられるお財布ケース!これでiPhoneだけもって気軽におでかけ!」
なんだこれ。これ普段選らばなそう。でも変なの好きだから選ぶかな?わかんね。もうこれでいいや。そんなこんなでやっとこさ決めて買いました「OtterBOX Commuter Wallet」。なんせ名前が可愛い。「カワウソの通勤財布」である。たぶん。英語力低いから違っても許してください。 こんなん。ほへー。ヨドバシ.comでお昼に買ったら当日夕方に家に届きましたヨドバシ素敵。
ケース着けると全体が黒くなって嫌いじゃない外観になったし、けっこうすべすべ目の手触りで当然厚くはなるんですが僕は手がでっかいので裸の6より持ちやすい。気に入りました。いつもと違う選び方も良いものだ。結局いつもと違うのかどうなのかわからなくなってるけど。
そういえば壁紙のお姉さん誰なんだか全然知らない。たまたま見つけて何となく綺麗だなぁとけっこう長い間壁紙にしているけど知らない。誰なの?まぁそんなに知りたくもない。

肝心の財布部分はこんな感じ。 カード三枚と紙幣が一枚入るそうです。開け難いし入れ難いし出し難いしでこの部分の使い勝手は悪そう。それに持って出られる紙幣が一枚ってので「お財布ケース」を名乗られてもねぇ?お釣りどうするんですかね?まぁ僕は普段からお釣りポッケに突っ込むタイプだから問題ないけどね!てかなんなら紙幣も突っ込むからお財布自体要らないけどね!
でも買ったからには、その機能があるからには有効活用してあげようと思っている。何かしら使い道を考えてあげよう。

ちなみにOtterというと前述の通りカワウソのことじゃないですか。川獺。一文字でも獺。
カワウソというと若干寂しい記憶やら感情やらが胸を駆けるのですがまぁそれもまた一興ということで。気にならないくらいになればよい。
そしてカワウソと聞くと「だっさい」という日本酒が飲みたくなる。カワウソの祭りと書いて「獺祭(だっさい)」。東京に住んでた頃ちょいちょい飲んでた。安くて美味しい。懐かしい。

以上。

電話番号もアドレスも変わってないです今日も元気です。

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水雪

もう今年が終わる。今年って2000何年だっけ?14?曖昧。
平成何年なのかって話になると曖昧どころじゃなく何年なのか本格的にわからない。
日本人の大人としてあるまじき知能レベル。救いようがない。

今年はもうあと日曜日を8回迎えると終わる。
早い。なんということでしょう。日にちで考えるとそんなに実感はないけど、日曜日の数や残りの週数で考えると残りの少なさに愕然とする。その一方で、元々一年にはだいたい48回しか日曜日無いけどね、って思うと「あぁだったらまぁそんなもんか」という気分になる。
俺はいったい何が言いたいのかな。僕はいつもいかなる瞬間も一瞬たりとも真面目じゃない生き物なんだと思う。一年で区切って考えるからもう終わる気がするけど年度で考えるとまだまだあるしね!それか一生で考えたらまだまだあるさ!もしかしたら一生のほうが2014年が終わるよりも早く終わるかもしれないけどね!どっちでもいいね!

札幌は昨日雪が降った。だからたぶんもう冬だ。
秋と冬の境目はどこだろうか。暦なのか、気温なのか、香りなのか、雪なのか。
冬だと自分が思えば冬か。コンビニから秋味のビールが消えたからもう冬なのだろうと思う。
冬は嫌いじゃない。寒いのは耐えられるけど暑いのは無理だ。だったらなぜ自分は沖縄に数年住んでいたのか。謎である。

おでんや鍋の美味しい季節だ。働かずに食う飯は旨いかね?って自分に思うけど旨いもんはまぁなんにせよ旨いよ、うん。一人で食う飯もそりゃ旨い。でも同じものなら大抵は誰かと食べた方が美味しいんじゃないかなと思う。一人で食べたものを同じ状況で他人と食べるとかそういう検証したことないから知らんけどね。

支離滅裂。
小まめに日記を書こうという思い付きだけで書き始めてみたけど書くことないや。

今年は頭から日本を出て半年ほどで十数か国を周って適当に帰国、そのままタラタラ札幌で過ごしただけ。また今年も何もしていない。自分はこれをやった!って実感のあった年って今までの己の人生にあっただろうかな。
なんつってかんつって意味のない自問自答の振りを延々繰り返しているだけだ。その実何も考えていない。こんな無意味はやめにしようという事で、本日のところはこれにて終了。

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酒量

毎日毎日何もしていない。だから何も書くことが無い。
何もしていなくたって考え事はしているのだから書くことくらいはいくらでもあるっちゃあるんですが、10代ないし20代前半ならまだしも、今の自分みたいなのがそんなもの此処でひけらかして書くことに何の意味も無い。大学在学中や卒業して数年はそんなんばっかだったな、mixi。いやその頃だって意味なんか無かったか。懐かしい。ログインしなくなって久しいな。お元気ですかmixiさん。

筆不精だし出不精だしデブだし無精髭だしね、なんなんだ己は。
なんもすることないからなんかしよう、ということで今適当に文章を書いているんだけど、適当に此処に文章を書くことに意味なんて無いからその適当に行っていることは無駄なわけである。無駄なわけなんだけど、とりあえず何もしていないよりは良いかなと自分を思わせることが出来るという点において本当に性質が悪い。たちがわるい。

まぁいいや。

最近お酒の飲める量が減ってきたように思う。理由は加齢なんだか日常の生活の仕方なんだか飲み方なんだか知らんけども。良いことでも悪いことでもないし、どちらかといえばいいことのように思える。その人の環境で良いか悪いかも変わるだろうけれど。

人それぞれ飲めるお酒の量というのは当然違う。酔い方も違う。
僕は平均よりもお酒は飲めるほうだと思っている。が、酔い方が非常にだらしないのでそれは本当になんとかしなければなぁとも思っている。漠然と。逆に酒はそういうもんだからそのままで別に良いジャンと思わなくも無い自分もいる。まぁその話は今はいいや。

飲酒可能な量というのは本当にバラバラだ。
飲めない人は缶ビール一缶開ける前に顔を真っ赤にして眠ってしまったりするし、一人で焼酎一升飲み干す人もうわばみもいる。その違いが面白いなと思ったので、なんとなく個人が飲めるアルコールの量を計算してみたくなった。酒の種類によって飲める量や酔い方は違うようにも思えるのであまり意味は無いかもしれませんがなんとなく。

たとえば、ビール一缶で酔いつぶれてしまう人の飲めるアルコールの量は、一缶350mlでアルコール5%とすると17.5ml以下ということになる(と思う)。

僕はだいたいウィスキーの720ml瓶(四合瓶)一本と半分で活動限界を迎えるので、ブラックニッカが42%として、1080mlの42%だから飲酒可能なアルコールの量は453ml程度ということになる(様な気がする)。これは酔いつぶれる数値だから楽しく飲める範囲はもっと少ない量です。

沖縄の焼酎である泡盛を一升飲める人の飲んでいる量は一瓶1800mlの30%とすると540ml。しかもそれでつぶれていないからもっと飲めるのでしょう。怪獣だな。

こう単位を揃えて考えてみるとなるほどなんか面白い。
何が面白いかよくわからんけどなんとなく面白いような気になります。
今度から飲むときはそれぞれ計算しながら飲んで自分がアルコールどれくらい飲んでるのか考えて飲んでみようかな。どう考えてもめんどくさいし後半計算能力なんてなくなるだろうから絶対やんないけどね。

なんでこんなことを急にやろうと思ったのかというと、身近に信じられない量の酒を飲む人間が居るからだ。その人は実に一日で8本芋焼酎の四合瓶を飲む。8本の四合瓶ということは単純計算三升と二合。実に5760ml。5760mlの25%とするとなんと1440ml。僕の三倍以上。これを一晩というわけではないが一日で飲む。昼間四本夜四本くらいのペース。さらに、これを週に一度などという回数ではなく割りとコンスタントにこなす。連日飲んだりしている。これは何か化け物かあやかしの類かな?
病院の先生もびっくりしてました。今までそんなに飲む人見たことないって。
てかそもそも致死量は越えてないの?何故に死なないの?まず間違いなく僕が同じ量を飲んだら天に召されることだろうと思う。違いはなんなんだろうか。慣れなのか、分解できる酵素の量なのか、吸収率だとかなんだとかそういうあれこれなのか。

別にそうなりたくもないし酒飲みに憧れもしないからどうでもいいんだけどもね。

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